技術の原点は「カエルの合唱メカニズム」の研究だった
今、主体的・対話的で深い学びを実現するため、PBL型学習などのアクティブラーニングを取り入れる学校が増えている。ただ、実際の議論や対話の場では、いつも発言する子がいる一方で、ほとんど発言しない子がいるなどの状況が見られ、議論の質をどう高めればいいのか悩む教員も多いのではないか。また、すべてのグループの話し合いを十分に見ることができないといった課題もあるだろう。
そんな学校現場で活用できるのが、「Hylable Discussion」だ。このICTツールを提供しているハイラブル代表取締役の水本武志氏は、「話し合いを定量的・客観的に分析することで、誰でも自信を持って豊かなコミュニケーションができるようサポートするツールです」と説明する。
学校現場だけでなく、企業の新入社員や管理職向けの研修、会議などでも導入されているほか、多言語の対応が可能なので国際交流などで利用される機会も増えてきている。これまで延べ6万人の話し合いを分析してきたというが、そもそもの開発経緯が興味深い。
実は水本氏は、京都大学大学院博士課程の学生の頃、研究テーマの1つとしてニホンアマガエルの合唱のメカニズムを調べていた。カエルは水田で数十匹以上が一斉に鳴くため、人の耳で調べたりマイクで調べたりすることが非常に困難だという課題があった。
「この課題を解決するため、LED とマイクを組み合わせたデバイスを開発したんです。これを水田に並べることで、うるさい中でもカエルが『いつ、どこで』鳴いているかを計測でき、カエルたちが周囲の音を聞きながらコミュニケーションを取っていることがわかるようになりました。この研究過程で得たのが、言語を使わないコミュニケーションを分析する技術、雑音の中でも音の情報を取り出せる技術でした。これらの技術を使えば、人のコミュニケーションをサポートできるのではないかと考えたのが、出発点です。議論する力が重視されるようになってきた教育分野に注目し、2016年に起業しました」
データを基に振り返ることでコミュニケーションが活性化
そんな経緯で生まれたHylable Discussionだが、いったいどのようにコミュニケーションをサポートしてくれるのか。
使用方法は、簡単だ。たまご型レコーダーをテーブルに置くだけで、あとは録音からアップロード、「振り返りワークシート」などさまざまな種類のレポート生成まですべて自動で行われる。つまり、対話をリアルタイムに分析し、“見える化”することができるのだ。教室のように子どもたちが話す騒がしい環境でも安定した分析が可能である点が大きな特長となっており、1台で8人程度まで利用できる。複数台使えば、大人数でも対応可能だ。
議論のデータは教育学や対話分析の知見を基に定量化しており、例えば、発言者それぞれの発話時間の総量、話し合いのやり取りのパターン(ターンテイク)、いつ誰がたくさん話したかという発話量の時間変化などを可視化している。
「子どもたちにこれらのデータを渡し、誰がたくさん話し、誰の発言が少ないのか、誰と誰のやり取りが多いのか少ないのかなどを振り返り、よりよい議論にするためにはどうしたらよいのかを考えてもらいます。すると、話しすぎる子は相手の話を聞くようになり、話さない子が話していくようになるなど、コミュニケーションが活性化していくのです」(水本氏)
こうした話し合いの“見える化”を繰り返すことで、どのような成長が期待できるのだろうか。
「多様性の時代の中で、コミュニケーションスキルが重要だといわれますが、とくにいろんな人の意見を聞いて物事を判断し、利害を調整していくファシリテーションの力、いわば問題解決能力を養うことができると考えています。自分がどれだけ話しているのか理解するというメタ認知能力を高めることもできるので、行動が変わっていくのです」(水本氏)
「メタ認知」や「周囲への働きかけ」が促進される
実際に「Hylable Discussion」を使って授業の研究を行う東京学芸大学大学院教授の北澤武氏は、こう説明する。
「中1の理科の授業事例でいえば、Hylable Discussionで分析されたワークシートを使って、改善すべき点を考えていくことを促しました。その結果、興味深いことにほとんどの生徒が可視化されたグラフに対してポジティブな反応を示しました。例えば、ターンテイクのグラフを見て、次はあの子に話を振ろう、あるいは自分は話しすぎだからちょっと控えようというように、生徒は話し方を意識し、改善しました。Hylable Discussionは文部科学省が求める主体的・対話的で深い学びの足場がけになるツールだと思いますし、生徒自身で学習データを活用しながら改善していく練習にもなるのではないでしょうか」
北澤氏の研究に協力する東京学芸大学附属小金井中学校教諭の宮村連理氏も、「議論の場で頼りになるツール」だと話す。
理科を担当する宮村氏の授業は、以前から講義形式ではなく、議論形式だ。まずは自分で考え、その考えを持ち寄って4人1班で話し合い、発表するというのが基本の流れだという。テーマは与えるが、どうやったら課題を解決できる実験を組めるのか、どんなデータを取ればよいのかといったことから生徒たちが議論して考え、実験を行って結果をまとめていく。
「1人1台のiPadと授業支援アプリ『MetaMoJi ClassRoom』を活用し、個々の考えや班ごとの見解をネットワーク上で共有しており、生徒たちはそれを見ながら班の話し合いを進めます。その際、Hylable Discussionがあると、生徒たちは『こう話そう』と自分自身のメタ認知が促されると同時に、『周囲にどう働きかければよいか』という視点も持てるので、より議論が活性化しやすいと感じます。議論が深まることで、高校で学ぶ内容にまで自然とたどり着く子も。自動で分析がレポート化され、そのデータを1人1台端末に取り込んで使える点も便利だと思います」(宮村氏)
「子どもの隠れた能力を発見できるかもしれない」
こうした成果を聞くと、「国立の学校だから生まれる成果であり、公立の小中学校での運用はなかなか難しいのでは」と考える向きもあるだろう。しかし、水本氏は次のように語る。
「確かに『データを見せたら嫌がるのでは』と懸念を持たれる先生は多いですが、実際にはどんな子どももグラフを見ると、めちゃくちゃしゃべるようになります。この現象は、小学校でも新入社員研修でも、海外でも同じであることが確認されています。グラフは点数化されているわけではなく量を示しているだけで、声を出せば成果になるという単純な仕組みなので、競って話すようになるのかもしれません。また、シャイだと思っていた子が、実はリーダーシップを取って話していることがわかったという事例も聞いています。教員が子どもたちをフラットに見る力も養われることが見えてきました」
ただし、議論の質をより高めていくには、やはり教員側の工夫も必要だろう。宮村氏は、「生徒たちは答えが合っていないといけないというすり込みが強いので、私は正解を求めないようにしています。発表も『班で考えたことを話すだけ』という点を強調して伝え、『その考え方いいね』など、誰の意見にもポジティブに対応するようにしていますね」と話す。宮村氏の授業を見てきた北澤氏も、こう続ける。
「宮村先生は、例えば『重さと質量は何が違うのか』というテーマを設定していましたが、そんなふうに教師が5W1Hのような問題解決型の問いが設定できるかどうかも重要だと思います。また、授業は時間の制約がありますので、発表時間は何分か、何時から発表するのかなど、生徒に時間を明確に示すことも必要だと感じました。よい意味でのプレッシャーは集中力を高めてくれます」
Hylable Discussionの活用により、生徒たちの英語のスピーキングとリスニングの成績が上がった学校、職員会議でしゃべりすぎる人が減ってみんなが議論に参加できるようになった学校もあるという。そのほか、ホームルームで利用するケース、運動が得意な子も苦手な子もチームで取り組むことを目的に体育で使うケースなどもあるそうだ。
「インクルーシブに話し合う力が求められており、今後どの授業でも議論する場面はもっと増えていくでしょう。その際、科目横断的かつ継続的に対話のデータ分析をしていけば、子どもの隠れた能力を発見できるかもしれません。そのためにも、さまざまな環境で使うことができるように、技術開発を続けていきたいと考えています」(水本氏)
(文:國貞文隆、写真:ハイラブル提供)