体験が少ないと「選択肢の幅」が狭まる
子どもの貧困が問題となる中で、食事や学習の格差ほど「体験格差」はこれまで取り上げられてこなかった。水泳や野球、ダンスなどの習い事や家族旅行といった「体験」は、副次的なものと見なされ、軽視されてきた。
しかし最近では、子どものころの体験は、豊かな心や向上心、忍耐力、協調性、リーダーシップなど知識を超えた学びの土台を形成するものであり、長期的に大きな影響を与えると考えられている。
CFC代表の今井氏は「体験を通じて粘り強さなど、学力数値で測ることができない非認知能力を育む、という狙いが強調されすぎると、体験をさせなければと過熱化したり、不要な競争を生んだりするリスクがある」と前置きしたうえで、体験の重要性について次のように語る。
「子どもにとって、自分の好きなことや夢中になれることがあるということ自体が、生活全体を豊かにするうえで非常に大切です。絵を描く、海水浴、動物園、サッカーなど、子どもそれぞれに違う楽しいと感じられる体験がある。楽しい思い出はつらいことに直面したときの心の支えとなり、長期的な価値もあるのです」(今井氏)

公益社団法人チャンス・フォー・チルドレン代表理事
兵庫県出身。小学2年生のときに阪神・淡路大震災を経験。関西学院大学在学中、NPO法人ブレーンヒューマニティーで不登校の子どもの支援や野外体験活動に携わる。公文教育研究会(KUMON)に入社し学習塾の運営に従事。その後CFCを設立、代表理事に就任。著書に『体験格差』(講談社現代新書)
(写真は本人提供)
今井氏の著書『体験格差』では、沖縄県で子ども・若者の貧困問題に取り組む金城隆一氏(NPO法人ちゅらゆい代表理事)が、さまざまな困難を抱える子どもたちを北海道に旅行に連れていったときのエピソードが紹介されている。
子どもたちにとっては初めての旅行。北海道に着いても、沖縄の地元にあるようなアニメショップやゲームセンター、全国チェーンの寿司屋に行きたいと言う。これまでに体験したことがないから、北海道旅行でやりたいことの選択肢が浮かばないのだ。貧困とは「選択肢がない」ということだ。
「過去の体験の幅が狭くなると、将来やってみたいことの幅も狭くなる。子どもたちの選択肢の幅を広げ、想像力を育むためにも体験は欠かせません。例えば、身近に大学生がいる環境で育つ子どもは、大学進学を自然な選択肢として考えることができますが、そうでない子どもにはその未来が想像しにくい。
想像力や選択肢の幅は、体験の影響を受けるのです。また、体験を通じて仲間や大人と出会うことで、学校と家庭以外でコミュニティーを持つ機会も得られます」(今井氏)
日本に根強い「自己責任論」とお祭りにもある格差
このように子どもにとって大切な「体験」だが、その格差は年収によって如実に出ている。CFCが2022年に行った小学生の保護者2097人へのアンケート調査では、世帯年収300万円未満の家庭の子どもの約3人に1人が、 1年を通じて「学校外の体験活動を何もしていない」という。これは同じく小学生を持つ世帯年収600万円以上の世帯の同回答と比べて約2.6倍の数字だ(関連記事)。
親の経済的な状況が子どもの体験の多寡に影響し、将来の選択肢の幅にも関わってくる。それにもかかわらず軽視されてきた背景には、体験を「家庭の努力次第でどうにかなるもの」とする自己責任論が根強くある。
年収300万円未満の家庭で子どもに「やってみたい」体験をさせてあげられなかった理由として多いのは、「保護者の経済的理由」「保護者の時間的理由」だ。ここまでは想像にかたくないが、「保護者の精神的・体力的理由」「情報がない」という背景にも目を向けておきたい。

「お子様が学校以外の場でやってみたいと思う体験について、させてあげられなかった経験はありますか。当てはまるものがあれば、すべてお選びください」という設問に対して、「特にない」と回答した者を除いた1113名を対象に回答を求めた。そのうえで「前問で選択した活動について、させてあげられなかった理由を教えてください(複数選択)」と質問した回答結果
「お金がなくても工夫次第で体験はできるという人もいるかもしれません。ただ、体験を親の責任にすることが、まさに格差を生む要因なのです。無料で提供されているイベントを探し出すのにも時間や労力がかかります。
毎日働くことに精一杯で地域とのつながりを持つことができず、親同士の関係も築けず、情報がまわってこないと悩む方の声を聞いてきました。実際に話を聞くと、低所得家庭の親御さんたちは『自分が悪い』と感じていることが非常に多い。ですが現実には、彼ら・彼女らの努力だけではどうにもならない社会的要因が関係しているのです」(今井氏)
経済的に厳しい家庭では、交通費や宿泊費がかかる旅行や動物園・水族館などの文化的体験だけでなく、地域の行事やお祭りなどにも参加することが難しい場合がある。数十円、数百円単位で節約している中では、お祭りの屋台で使うお金も痛い出費となりうるからだ。
経済的な理由でなくとも、長時間労働や心身の不調などで体力的・精神的に余裕がなく、行事に付き合うのが難しいという家庭もある。働きながらひとりで子どもを育てている場合、習い事の送迎や付き添いの時間を捻出することは難しいだろう。
「低所得家庭の子どもたちにとっては、やりたいと口にすること自体が勇気のいることです。親が経済的に困難であることがわかっている子どもたちの多くは、サッカーがやりたいなどと気軽には言えないんです。やってみたいと思うこと自体を抑え込み、これが積み重なると、やりたいことを探すこと自体を諦めてしまう。体験格差の解決には、家庭の努力ではなく社会全体での支援が不可欠だと考えます」(今井氏)
体験格差の解消に向けて、地域社会で体験を支える
CFCでは、体験を「親の負担」ではなく「地域社会が支えるもの」とすることで、体験格差を少しずつ埋めるための具体的な取り組みとして「ハロカル奨学金」を実施している。これは低所得家庭の小学生に向けて、スポーツや文化芸術活動などの習い事、キャンプや職業体験などに使えるクーポンを子どもに無償で提供する支援制度だ。
「ハロカル」には「ハローカルチャー(文化・体験との出会い)」と「ハローローカル(地域の大人との出会い)」の2つの意味が込められているという。2024年夏には、ハロカル奨学金で見えてきた課題を解決するためのトライアル事業として「ハロカルホリデー」を実施。
スティグマ(偏見)を生まず、誰もが体験にアクセスしやすい状況をつくるために、あえて所得審査なしで東京都墨田区の小学生1000人を対象に5000円分の体験クーポンを提供したという。そしてクラブや習い事の事業者に関わらず、地域の大人や商店、施設、クリエイターなどと連携して多様な体験プログラムを立ち上げ、体験の機会を生み出した。
「相撲部屋の朝稽古見学、銭湯の掃除体験、商店街の縁日や職人さんのワークショップなど、地域の大人たちが自発的にさまざまな体験プログラムを提供してくれました。体験を提供する側の大人たちからも、地域の子どもたちと関わる機会が増えてよかったという声が届いています」(今井氏)

(写真:CFC提供)
参加した子どもの保護者に聞いた、子どもの変化に関するアンケートでは「自信がついた」「挑戦する気持ちが強くなった」「友達が増えた」といった回答が多く、活動を通じて子どもたちに大きな変化が見られたことがわかる。
参加した子どもたちからは「違う学校の友達ができてよかった」「上手だね、という言葉がうれしかった」「新しいことができるようになった」などの声が挙がった。体験プログラムは単なるスキルの獲得以上の価値を持っていることが、このアンケート結果からも見て取れる。
教員が心にとどめておきたい、子どもたちの「多様な背景」
体験格差は、学校教育の場面でも顕在化しうる。例えば、夏休みや春休みなどの長期休暇明けに「楽しかった思い出」の発表を求める宿題は、一部の子どもたちにとっては心理的な負担になりかねない。
「私は、教員や学校関係者が体験格差だけの対策を講じるのではなく、さまざまな家庭環境の子どもたちがいることを認識して接することが重要だと考えています」(今井氏)
体験格差を単なる「親の努力不足」で終わらせず、社会全体でその機会を保障する仕組みを考える。そして、子どもたちの選択肢の幅を広げ、想像力を育む。
「体験の楽しさが、子どもたちの未来を切り開く力になる。体験格差をなくすことは、日本社会の未来を豊かにすることでもあると考えます」(今井氏)
(文:中原美絵子、企画・編集:晏 暁丹、注記のない写真:ViewStock / Getty images)