親子のバトルには「根が浅い」ものと「深い」ものがある

矢野耕平(やの・こうへい)
中学受験指導スタジオキャンパス代表/国語専科・博耕房代表
著書に『中学受験で子どもを伸ばす親ダメにする親』(ダイヤモンド社)、『男子御三家 麻布・開成・武蔵の真実』『女子御三家 桜蔭・女子学院・雙葉の秘密』(ともに文春新書/文藝春秋)、『令和の中学受験 保護者のための参考書』(講談社+α新書/講談社)など
(写真は本人提供)

2023年も最終月の12月に入りました。首都圏の中学入試本番の開幕まであと少しです。この時期は、中学入試本番を控えた小学校6年生とその保護者を対象にした記事が数多く配信されますが、私からは主に「非受験学年」、つまり小学校5年生以下のご家庭に向けて話をしましょう。

今回は、1年を通じて保護者を悩ませているであろう「わが子とのバトル」を取り上げます。勉強するべき時期にゲームに興じていたり、試験結果が良くないのに平然としていたり……そんなわが子にイラッとし、厳しく忠告すれば売り言葉に買い言葉で逆切れされ、罵り合いに発展するケースもよく耳にします。皆さんにも思い当たる節はありませんか。

私からすると、これらのバトルは「根が浅い」ものと「根が深い」ものに分けられます。もはや「恒例行事」と言わんばかりにバトルを繰り広げている家庭は、ある意味健全かもしれません。なぜか? それは、バトルの形であれ、親子間のコミュニケーションが図れているからです。バトルすることで、子どもがイライラを発散して学習に専心できるのであれば、さほど心配する必要はありません。バトルはその後も繰り返されるでしょうから、その点でかなり疲れるとは思いますが、「根の浅い」バトルと形容できるでしょう。偏見かもしれませんが、この手のバトルは母娘間で繰り広げられる場合が多いように思います。

一方で、私が「根が深い」と考えるのは、子どもが他責的な言動をとるバトルです。例えば、「今回のテストの得点が悪かったのは、自室で勉強しているときに弟がやってきて騒いだからだ」「ママやパパがプレッシャーをかけたから、今回の試験は集中できなかった」――などです。子どもが他責的な態度をとるのが問題である理由を説明します。

「親のために中学受験」をしている子は他責的な言動をとる

中学受験に向けて勉強する子が他責的な態度をとるのは、「他人のための受験」になっているからです。この場合、「他人」の多くは親になります。「親が勧めるから仕方なく塾に通っている」「親が中学受験をしろと言うから従っているだけ」……こんな思いが子どもの心の内でくすぶっている可能性があります。つまり、中学受験が「自分事」になっていないのです。

言うまでもなく、中学受験の主役は子ども自身です。進学先で6年間を過ごすのも、そこに向けて勉強に専心しなければならないのも子ども自身。中学受験の勉強は順風満帆にはいきません。壁にぶつかり、スランプに陥ることもあるでしょう。そのタイミングで心がポキンと折れてしまう子は、他責的な言葉を口にすることが多いのです。

バトルが起きたら、親はわが子の言葉の「質」をチェックする必要があります。もし、わが子の言葉に他責的な言い草が目立つ場合は「根が深い」問題と捉えて、「どうして中学受験をするのか」「中学受験勉強を通して何が得られるのか」など、親子間で膝を突き合わせて話す機会を設けるべきでしょう。わが子が中学受験に消極的で、今後も「受け身」の態度が変わらなさそうであれば、中学受験をあきらめるのも一案です。

わが子に関心を持たない「ネオ・ネグレクト」する親たち

とはいえ、親子でバトルができるということは互いに「向き合っているから」だとも言えます。というのも近年、わが子の小学校生活・習い事・中学受験に目もくれない保護者が気になるからです。

百歩譲って、共働きで余裕がないのならまだ理解できます。しかしこれは、そういう家庭に限った話ではないのです。

私の塾に問い合わせてきた保護者の中に、こう切り出す方がいました。

「ここは毎日自習室を使えますよね。毎日通わせようと考えているので、勉強面はすべてお任せしてよろしいですか」

わたしはこう返答しました。

「お子さんはまだ低学年です。毎日来るのは大変だと思いますよ。また、塾に通い始めてしばらくは、親御さんにも学習管理をお願いしたいのです。簡単でよいので1週間の学習計画表を作成し、何曜日の何時からどの科目に取り組むか、宿題をちゃんとこなしているか……こんなふうに付き添ってあげられないでしょうか。塾に慣れてきたら、徐々に手を離して大丈夫です。5、6年生になるころには自力で受験勉強ができるように導きますので」

その保護者は無表情で聞いていました。結局その後連絡が途絶えたので、私の返答に納得がいかなかったのでしょう。

こんな話もよく耳にします。公立小学校で教員に暴言を吐いたり、児童同士のトラブルを引き起こしたりする子どもに限って、保護者がまったくといっていいほど学校に姿を見せないのです。やっと連絡がついたと思えば、「子どもを管理するのが学校の役目でしょう」とそっけない返事。聞けば、その子は毎日何かしらの習い事をしており、家は単に寝起きする場所になっているとか。学校で荒れてしまうのも、誰かに構ってもらいたいという承認欲求の発露なのかもしれません。

さて、「ネグレクト」という言葉を『デジタル大辞泉』(小学館)を引くと、「子供に対する適切な養育を親が放棄すること。例えば、食事を与えない、不潔なままにしておく、病気やけがの治療を受けさせない、乳児が泣いていても無視するなどの行為」と記述されています。

出所:「デジタル大辞泉」(小学館)

しかし、衣食住が事足りていても、経済的に裕福であっても、親がわが子にいっさい関心の目を向けないのはある種の「ネグレクト」ではないでしょうか。私はこうした親の行為を「ネオ・ネグレクト」と名付けて、過去にも記事を執筆してきました。

ある私立中高一貫校の教員と話したとき、彼は「最近は、中学入学時から子離れしていて、学校をまるで託児所のように考えている親が増えたと感じる。これは困ったものだ」と憤慨していました。

このような親に育てられた子どもは人間関係の距離感を掴めず、友人とのトラブルも珍しくないと聞きます。これもやはり、承認欲求の発露と言えるでしょう。この記事を読んでいる皆さんは、わが子に向き合っていると自信を持って言えるでしょうか。バトルでも構わないので、関心を持たない「ネオ・ネグレクト」には気をつけていただきたいです。

(注記のない写真:8x10/PIXTA)