スマホを与える=育児放棄ではない

今や大人たちは当たり前のように仕事にパソコン、タブレット、スマホなどのデジタル機器を使っている。むしろ、これらのデバイスなしに仕事をするなど、もはや不可能だ。

しかし、子どもがスマホを使うとなると、途端に「子どもにスマホはダメ」となりがちなのはなぜだろうか。そこには、日本が「デジタル教育後進国」であることが大きく関係しているのではないかと石戸奈々子氏は分析する。

「昨年、日本でも諸外国に遅れてようやくプログラミング教育の必修化や1人1台端末の配布など、環境整備面をキャッチアップすることができました。ただ、それ以前から子どもたちは、ゲームやチャットなどではスマホを使っていましたよね。つまり、スマホは“遊び”のツールとしてしか認識されていなかった。スマホを使って“学習”するのであれば、それが悪だという考えにはならないのではないでしょうか。

もちろん、子どもにスマホだけ渡して何時間も放置するようなことには反対です。ただ、それは育児放棄を意味するからであり、“子どもにスマホを使わせること=育児放棄”ではない。重要なのは、スマホそのものが悪いのではなく、スマホで何をするのか、どのようなコンテンツを選び、どのような使い方をするかです」

それならば、スマホは何歳から使っていいのか。1日何時間ならOKなのか。石戸氏は保護者からそう質問を受けることも多いが、「明確な答えはない」という。

NPO法人CANVAS 理事長 石戸奈々子
東京大学工学部卒業後、米マサチューセッツ工科大学(MIT)メディアラボ客員研究員を経て、2002年CANVAS設立。これまでに開催したワークショップは 約3000回、約50万人の子どもたちが参加している
(撮影:梅谷秀司)

「家庭の教育方針や子どもの成熟度によっても変わりますし、そこに画一的な答えはありません。私の子どもの場合は、0歳の頃からタブレットに触れていましたが、夢中になってほかのことが手につかなくなることはありませんでした。例えば『公園に行こう』と声をかければすぐにタブレットを置いて、喜んで外に出かけました。さまざまな体験を提供し、スマホ以外にも楽しみがあれば、必ずしもスマホ依存になるわけではないのです。

とはいえ、勝手に課金サービスを利用しないようにフィルタリングをかけておくとか、生活習慣が乱れないように『食事中にスマホを見るのはやめようね』などと、各家庭で話し合い、ルールを決めておくことも必要でしょう」

スマホによって学習と遊びを両立

デジタルデバイスの活用によって、子どもたちの学びは大きな変化を遂げている。スマホやタブレットがプログラミング教育をはじめ、子どもたちの創造力や思考力を育むツールになっていることは、もはや明白だ。石戸氏らが開催している「全国小中学生プログラミング大会」では、大人も驚くような作品が多数登場しているという。

「例えば2019年にグランプリを取った小学2年生の作品『現実シリーズ2 渋谷スクランブル交差点信号機』は、交差点のシミュレーター。夏休みの自由研究で渋谷スクランブル交差点に何度も通って多くの人や車が行き交う様子を観察し、交通事故が起きない交差点を作りたいと考えたのだそうです。

このように、主催者側が指定しているわけでもないのに、社会課題解決型の作品がとても多いのは驚きでした。今の子どもたちはこういった課題に気づき、それはテクノロジーを使って自分たちにも解決できると考えているのでしょう」

一方で、自分の好奇心を満たすためのサポートアイテムとしてスマホを上手に活用する子どももいる。

「電車が大好きなお子さんが、さまざまな駅を巡り、スマホに電車の発車音を録音していたんです。自分が好きなものをサポートするツールとしてスマホを活用している。大人が使い方を指示しなくても、子どもたちは自分でスマホを使いこなして、好きなことの探求に取り組むのだと実感しました」

また、スマホやタブレットを使い、遊び感覚で学ぶことができるアプリも、今や無数にある。

「例えば、『地図エイリアン~都道府県を記憶せよ~』というアプリでは、リズムに乗せて画面をタップするだけで都道府県の名称や場所などを教えてくれます。うちの子どもは、私がとくにやらせたわけでもないのに、このアプリを活用して小学校に入る前にはたいていの都道府県が言えるようになっていました。

スマホだけではなく、タブレットも幼児がコンピューターに慣れ親しむことに一役買っている(写真:石戸氏提供)

『国語海賊』ではひらがなや漢字を、『算数忍者』では、足し算や掛け算九九を学ぶことができる。また、アメリカの『Lexi’s World』では、pigとタイプするとブタが画面に現れるなど、楽しく英単語を覚えることができます」

さらに、外遊びで使えるものもある。「LINNÉ LENS」は、水族館や動物園でスマホをかざすと生き物を認識して名前を教えてくれる“かざすAI図鑑”だ。

「ほかにも、『コラージュペイント』は、カメラで撮影した風景を切り抜いてコラージュ作品が作れるなど、野外で活躍するアプリはたくさんあります。これまでは対局にあるものとして捉えられていた“外遊びとスマホ”は両立しますし、デジタルデバイスが外遊びの価値をいっそう高めているといっても過言ではないのです」

教員は「知識を授ける人」ではなくなる

先述のように、日本のデジタル教育は世界から見ても大きな後れを取っている。2019年、デジタル教科書の制度化や学校教育情報化推進法が成立し、ようやくスタートラインに立ったばかりだが、日本のデジタル教育の未来は明るいと石戸氏は言う。

「これから検討すべき課題はまだありますが、日本ならデジタル教育先進国になれると私は考えています。というのも、全国津々浦々に一定レベルの教育が行き渡っている国は、世界的に見ても珍しい。一度物事が決まれば、全国に展開されるのも早いというわけです」

加えて、石戸氏は、日本の教員たちのポテンシャルの高さを挙げる。

「昨年8月に、プログラミング授業の開始に伴い、現時点で行われているプログラミング授業の報告を文部科学省が任意で求めたところ、400件を超えるレポートが集まりました。11月下旬になると学習指導要領に例示されている最も有名なプログラミング教育の単元が始まり、さらに全国で多数のプログラミング授業が実施されることでしょう。しかし、その前からすでに、独自に工夫して授業を始めている先生がこんなにいるのです。報告が任意であることを考慮すると、さらに多くの先生が取り組みをスタートさせていたはず。その先生方の情熱をもってすれば、今後日本が教育デジタル先進国になる可能性は十分にあります」

一方、教育のICT化によって、今後は学校のあり方や教員の役割も今後は変わっていくことになりそうだ。

「ICT化により、先生だけが教えるのではなく、プログラミング教育をはじめ専門知識が必要な授業はその分野のプロの方を招いたり、民間で行われている授業動画を見せたりというスタイルが可能になる。そうなれば、学校は開かれた場になり、知識を授けるのではなく、子どもたちが“学ぶ場”に変化することでしょう。

そうすると先生の役割がなくなると危惧する人もいるかもしれませんが、むしろ先生の役割の重要性は増すと思います。例えば動画を見て知識を得て終わりではなく、その後、子どもたちがディスカッションして学びを深める必要がありますよね。そのような場をコーディネートするといったように、先生はファシリテーターとしての役割を担い、知識を伝達する人ではなく、子どもたちと寄り添い、伴走する存在に変わっていく。

そのためには、先生がこれまで以上に一人ひとりの子どもたちに目を配ることや、先生自身も学び続けることが不可欠ですが、ICT化による業務効率化が、その時間を生み出してくれるはずです」

デジタル教育の推進には、今後も多くの課題があり、スマホとの付き合い方を含め、家庭でも教育現場でも手探りの状態が続くだろう。しかし、これからの時代を生きる子どもたちには、すさまじいスピードで変化する社会の中で、自分で考え、答えを導き出す力が求められる。教員も親も、スマホを子どもから遠ざけるのではなく、スマホを活用しながら子どもの力を伸ばすことが必要なのだ。

(文:音部美穂、注記のない写真はiStock)