授業を創意工夫しても、結局は「テストで評価」に疑問
長井校長は、東京学芸大学で小学校課程を修了し、東京都江戸川区で教員としてキャリアをスタート。上越教育大学への派遣を経て、府中市教育委員会事務局の専門職員として学校教育の指導・助言を行う指導主事を務めるなど、長らく教育現場と行政の橋渡しを担ってきた。その後は副校長、統括指導主事、校長を経験し、東京都清瀬市で指導課長に従事。2020年、西新宿小学校に校長として着任した。

新宿区立西新宿小学校 校長
東京都公立学校教員、指導主事などを経て、新宿区立西新宿小学校校長に就任。子どもたちの可能性を最大限に引き出すことに情熱を注ぎ、2023年度からは宿題、単元テスト、通知表を廃止するなど、大胆な学校改革を推進。専門は学校経営、理科教育。子どもたちの「学びたい」を育む教育を目指している
(写真は本人提供)
本格的な教育改革に踏み切ったのは、コロナ禍が落ち着きを見せた2023年のこと。長井校長は当時をこう振り返る。
「最初に着手したのは、通知表と単元テスト(小学2年生以上)の廃止です。さらに宿題も見直し、夏休みや冬休みの宿題は廃止しました。日常の宿題も、『漢字を20回書かせる』などの定型的な内容は避けて、子どもが学びたい内容を深められるような、自由度の高い内容に変えました」
画一的な教育の枠組みを見直し、主体的な学びを重視する新しいアプローチを提示した長井校長。子どもたちが自由に、そして深く学べる環境を整えようとするその姿勢は、教育界から注目を浴びた。公立校では他に類を見ない改革に取り組んだ背景には、長井校長がかねて抱いていた違和感があったという。
「教員がどれだけ創意工夫を凝らして授業をしても、最終的な成績は業者が作ったテストで決まることが疑問でした。子どもたちがせっかく楽しく学んでも、最後には『これを分かっているか/覚えているか』が試される。ただ、テストは私費で購入していた手前、使わざるを得ない事情もありました」
とはいえ、テストがなくても通知表がある限り、教員は何かしらの方法で子どもを評価しなければならない。長井校長は以前から、いずれは通知表も廃止しなければ、と考えていたという。
「現在の学校に赴任してからは、さらに2つの課題を感じていました。1つ目は、子どもたちに落ち着きがないこと。授業に集中できていなかったり、教室を抜け出してしまったりと、“学びに乗っかれない”児童が一定数いたのです。一方で、そうした子どもたちは、担任の先生が変わると落ち着くこともあります。だからこそ、どの学校も 『“いい先生”を採用したい』と考えてしまうのですが、ある時ふと思いたったのです。 “いい先生”にしか務まらない学校そのものがおかしいのでは――? これが、2つ目の課題です」
一部の先生にしか、授業中に児童を集中させたり、クラスを束ねたりすることができない。そんな属人的で脆い体制のもとに成り立つ現在の学校を、どうにか変えられないか――。この課題感と、従来の違和感が結びつき、西新宿小学校での思い切った改革につながったわけだ。
教員の自律を阻む、「上からの締め付け」の厳しさ
一連の大改革の成果について、長井校長は「2年経ったが、非常に危ういところを歩んでいる」と正直な感想を語る。改革はトップダウンで進めたこともあり、「現場の教育観はあまり変わっていない」と評価しているようだ。
「多くの先生は今でも、『子どもは自力では理解できない。だから、知識を与えて教えてあげなければ』という意識があるようです。私は、『子どもには元々学ぶ力が備わっていて、環境さえ整えれば自力で学べる』と考えていますが、先生の“子ども観”を強制的に変えるのも本意ではありません」
実際に全国の小学校でも、西新宿小学校のような改革はあまり見られない。その根本理由として、長井校長は「上からの締め付け」を挙げる。
「これを象徴する例に『時数管理』があります。各教科の授業時間は、学校教育法に基づいて、年間の合計時間から週の授業数までびっしり決められています。たしかに、教育の均一性を保ちカリキュラムを体系化するという意義はありますが、一方で、現場の実情や子どもたち一人ひとりのニーズに合わせた柔軟な授業運営は難しい側面もあるのです」
教員が時数管理に縛られると、授業時間を守るために、本来掘り下げるべき議論や実践的な活動が削られる可能性もある。その結果、子どもたちの多様な才能や興味が発揮されず、一方的で画一的な授業になってしまうのだ。
「子どもたちの個性を育むには、自由な発想と柔軟な授業運営が必要です。しかし、現行の厳しい管理体制は、教員の創意工夫や自発性を奪うものばかり。教員が前例踏襲の無難な選択に流されていては、子どもたちの主体的に学ぶ機会を失ってしまうでしょう。これは、日本全体の国力にも悪影響を及ぼしかねません」
長井校長は、「教員が上から求められる一律的な業務に忙殺されているせいで、子どもたちにも全体主義的な“まとまり”を求めてしまうのではないか」と推察する。実際、通知表やテストを廃止したことで、教員と子どもたち・保護者との緊張関係は緩まり、関係性が良くなったように感じているそうだ。また、宿題がないため、未提出を追及する教員の指導に子どもや保護者が不信感を抱く機会も減ったのだという。
業務分掌や学年人事は教員自身で話し合って決める
長井校長が思い描く未来の教育のあり方。それは、子どもたちが自ら興味を持って課題に取り組む姿勢を育むことだ。例えば今後は、自由学習時間を設けて、子どもたちが好きな場所で自分のペースで学べるようにするなど、子ども主体の学びの環境づくりに向けた構想を進めている。
その前段階として、まずは教員が「こうしていきたい」という主体的な創意工夫を実現できるよう、長井校長は裁量の範囲内で評価制度や管理体制を見直してきた。組織改革では従来の業務分掌を廃止し、教員の主体性を重んじる体制に変更した。
「校長や管理職が一方的に教員の役割を決めることはやめました。これまで、各学年に生活指導担当と教務担当を配置して、役割を細分化させていました。しかしこれは『上からの締め付け』だと思い、教員自身が自分の得意や興味に合わせて役割を選べるようにしたのです。この役職には何人必要か、そもそも必要なのかというところから、先生たちが話し合って決めています」
さらに2025年度からは、学年人事を校長が決めるのもやめるという。チーム担任制を導入し、担当学年や担当クラスは教員の希望を生かし、話し合いで決める。これも教員の主体性を尊重し、現場で協力し合いながら柔軟な学校運営を実現するための布石だ。
「この先、教員の役割は子どもたちの“支援者”や“伴走者”に変わらなければいけません。そのためには、上の指示から解放され、教員同士が子どもたちのために協働する仕組みが必要です。よく校長会で、『長井さんだから思い切った改革ができる』と言われますが、一歩踏み出せば意外と難しいことではない、ということは全国の校長に伝えたいです。“出る杭になりたくない”意識もあるでしょう。しかし私はそれよりも、目の前で子どもが授業に集中できていない現状を、その子の特性や教員のせいにしたくなかったのです」
子どもの興味関心、得意不得意、成長スピードは一人ひとり異なる。その多様性に寄り添い、時に励まし、時に導き、時に一緒に悩みながら子どもたちの成長を支えることが、未来の教員に求められる役割なのかもしれない。長井校長の挑戦は、教員と子どもたちが共に成長し、互いの可能性を最大限に引き出す未来の教育システムを築く、画期的な試みと言えるだろう。
(文:末吉陽子、注記のない写真:Graphs / PIXTA)