「デジタル社会形成」進む中、必要となる「個人の情報」
――2020年5月に開催された「学校の情報環境整備に関する説明会」の動画は、髙谷さんが発信した「えっ、この非常時にさえICTを使わないの なぜ?」などの強いメッセージが一部で話題となり11万回を超える再生がありました。それから約1年、GIGAスクール構想を推進された立場から、現状をどう評価されていますか。
今回のGIGAスクール構想によって、教育界全体がデジタル化に大きく舵を切ることになりました。これは教育界にとって、かなり大きなパラダイムシフトだと考えています。端末や通信ネットワークの整備については、これまでのように積み上げ式ではないやり方をしたこともあり、教育現場の方々にとってはベストではないこともあったかもしれません。それにもかかわらず、ご対応いただけたことに当時の担当者として本当に感謝しています。
現在「1人1台」の端末が整備され、学校現場では期待が膨らむ一方で混乱があるとも聞いています。文科省においてICTの可能性についてたくさんの議論が交わされていますが、「これができる、あれもできる」と意見が積み重なる中で、教育現場の方々がそれらに応えようと余裕がなくなっていて、少し本筋から外れた状況になっている気がしています。
――手段が目的化しているということでしょうか。
はい。GIGAスクール構想の本筋とは何か。教育の観点については文科省がきちんと示しているとおりですが、一方でDX(デジタルトランスフォーメーション)の観点からすると、少し不安な面があります。今、私は内閣官房で教育の情報化の領域をお手伝いしているのですが、DXの観点から皆さんに知ってほしいことがあります。
現在「デジタル社会形成基本法案」や「デジタル庁設置法案」などデジタル改革関連6法案が審議されています。まさに社会全体のデジタル化が進んでいる中で、教育もそれとしっかりかみ合わなければなりません。このことを認識してほしいのです。実際、デジタル庁準備室でも、教育DXを「準公共部門」として検討を始めています。
組織運営には「ヒト」「モノ」「カネ」、そして「情報」が必要ですよね。教育現場においても、「個別最適な学び」を実現するためには「個人の情報=データ」が絶対に必要なのですが、そこがまだ教育現場では十分浸透していないように感じています。
端末先行で後手に回った「学習者ID」
――どういった現状から、そう感じるのでしょうか。
個人の情報を活用するには学習者IDが主キーとして必要になります。文科省が今動いている、データの標準化や学習指導要領のコード化も不可欠な要素です。しかし、それより先に端末の整備が先行してしまった。それは端末がなければ何も始まらないという面を考慮して行ったことなのですが、結果として学習者IDの必要性への理解やコード化に対応した活用などは後手に回ってしまいました。
最終的に「個別最適な学び」を実現するためには、「情報=データ」が不可欠であり、そこに向かって教育の情報化が進んでいるのだと捉えていただきたい。個別最適な学びの実現に向けた準備としてまず教育現場でできることは、個人にIDを付けること。そうすると、1人ひとりの子どもたちのデータをきれいに整理できます。端末ごとにIDを付けていては、ただの端末利用になってしまいます。
――今、教育の情報化に向かうスタンスにはかなり地域差があります。
そうですね。情報リテラシーの有無により差が出ています。しかし大都市だからといって進んでいるわけでもなく、東京23区内でも取り組みの状況については違いがあります。その一方で、地方でも県内全員に学習者IDを付けて教育データの利活用にすでに取り組んでいるところもあります。しっかりとリーダーシップを取っている自治体はうまくいっているように思います。
――端末活用で課題となりそうな点は?
情報の活用だけでなく、協働的な学びを実現するためにもネットワークにしっかりつなぐことが重要ですが、いざ端末活用が始まると回線が十分でないため通信量の増加によって混乱が多発するだろうという心配はあります。また、個人情報保護の観点から、子どもたちの自宅での端末利用を制限する自治体もあるでしょう。それは保護者の理解がないとできないことだというのはもっともです。
ただ、1人ひとりの情報を踏まえて最適な学びを子どもたちにフィードバックするという今後目指す姿に進むうえでは、学校が個人情報保護を言い訳にガチガチな端末利用でよしとして止まってしまうのは最悪。現在、個人情報保護法改正も審議されていて、社会全体で個人情報を保護しながら活用を進めましょうという流れになっています。これからは情報の重要度に応じ、その保護と活用のバランスをつねに念頭に置きながら、保護者の理解を得ていってほしいと思います。
「若手のICT活用を管理職が止めないでほしい」
――デジタル化で業務効率を上げようと企業も試行錯誤で取り組んでいますが、教育現場のICT活用による効率化についてはどうご覧になっていますか。
デジタル化によって教職員の業務は増えるばかりで「大変になるだけだ」といった声も上がってきますが、そもそも逆。初期の導入やトラブル対応はやむをえませんが、本来ICTは業務を効率化・効果的にし、教職員の負担を減らして楽にするための道具です。それを前提に、今回の教育の情報化と併せ、学校業務も抜本的に変えて「働き方改革」を進めていただきたいと思っています。
――現状、学校現場ではなかなか働き方改革が広がっていきません。
民間企業でも、デジタルネイティブ世代のやりたいことを上の世代が潰すようなケースはよくあります。教育現場でも20代、30代の若手教職員がICT化に取り組もうとしても、その重要性を理解できない50代の管理職が止めてしまう懸念があります。今こそデジタル化で仕事を変えていくよいタイミングなので、ぜひ止めないでほしいですね。
また、担当課長時代には、文科省がよかれと思ってやろうとする取り組みも、都道府県の教育委員会、市町村の教育委員会、学校管理職、最後に現場の教職員と何層にもわたって伝わる間に、それが個々の学校現場で本当に必要なものとズレが生じると感じることもありました。さらに、学校現場でも「文科省が言ったことだから」といって目的も考えずに一言一句実行してしまうところがあるため、教職員たちはやらされ感が募ってしまうというギャップも感じてきました。
もう一方的な上意下達の時代ではないので、現場も文科省の仕様どおりにやる必要はなく、どんどん改革していってほしい。冷静に考えれば、自分の学校では別のやり方のほうが文科省の真意に沿ったものになるようなこともあるはずです。だから、そのあたりをしっかり理解して、むしろ現場が主導して実行してほしいし、そのような教職員たちの取り組みを管理職は止めずに評価してほしいです。
「デジタル社会形成」の動きに教育界も歩調を合わせよ
――これから教育の情報化や学校教育はどのような方向に進むのでしょうか。
まずは教科書や教材などで子どもたちの関心を引き寄せるようなデジタル化の動きが進んでほしいと思っています。また、デジタル庁発足後には、「ガバメントクラウド」など自治体のデジタル化を進める施策も本格化していきますが、こうした「デジタル社会形成」の動きに教育界もしっかり歩調を合わせてほしい。
端末導入が先行したがゆえにそういった点が見落とされがちですが、今後は各教育委員会も自治体のデジタル部門と連携を取りながら、全体の最適化を考えていく方向に進んでいってほしいと思います。
教科書会社や教育ベンダーなど、教育ICT業界も同様に頑張っていただきたい。従来の教育ICT業界は極めて限定的な市場でした。各社は自治体や学校単位で丁寧に対応していた。それはいいことだったのですが、技術的な汎用性が低くなってしまった結果、社会全体に比べて教育のデジタル化が大きく遅れた側面もあります。
そこは教育のIT化を進めなかった社会の責任でもあるのですが、業界も既存の形に固執していては、時代に即した教育ICT産業の発展は難しいのではないでしょうか。これからはITに強いさまざまな民間企業が参画して技術進展に対応し、教育分野を牽引していくことを期待しています。
これからの学校は、デジタル社会に生きる子どもたちが格差なくICTに触れられる場所にならないといけません。その先には、情報やネットワークの活用で、これまでの学校教育のよさを生かしつつ、すべての子どもたちに最適な学びを容易に実現できる新たな教育があると思います。
今や社会全体がデジタル化から恩恵を得る方向に向かう中で、教育界もうまくICTを道具として活用し、子どもたちにとっても、教職員にとっても学校がよりいっそう魅力的な場になっていってほしい。そう願っています。
(撮影:今井康一)