義務教育から「こぼれ落ちてしまう」子たちの存在
――「個人のやる気」に頼る指導法から、現在の指導法に変わった経緯をお聞かせください。
私自身、若手時代は個人のやる気や努力に頼る指導をしていました。例えば「来週、ここからここまでをテストします、合格点は70点」などと提示し、努力できる子は高得点がとれ、そうでない子には「このままだと合格できないよ」など、脅し文句を使うことも。合格点がとれるまで再テストに付き合う。よく言えば面倒見がよいのかもしれませんが、本当に子どもたちのためになっていたかというと疑問が残ります。
――世間一般には、努力できる子とできない子で差がつくのは当然、という考え方もありますね。
そう思う方も多いと思います。でも、私たち教員がその姿勢ではいけないと感じるようになったのは、教員生活も5年を過ぎたころでしょうか。児童たちの家庭をみると、「努力できない環境」に置かれている子の存在が見えてきました。

目黒区立不動小学校 主幹教諭
NPO教育サークル「GROW」6th代表。2020年に同サークルを立ち上げ、「教師として1mm成長する」を理念に活動。東京教師道場リーダー、東京都教育研究員、東京都小学校体育研究会研究部長等を歴任。教職のかたわら、2025年春より大学院経営情報学研究科MBAコースにも在学。小学校体育科副読本「みんなの体育」(Gakken)他執筆多数
(写真:本人提供)
例えば足の踏み場もないくらい、家がものであふれている家庭もあります。学習机を置くどころか、教科書を広げて宿題に取り組むこともできません。努力できる環境が整っていないのに、ただ「努力せよ」と言うのは無茶です。
また、本人や保護者の方が、発達障害など何らかの困難を抱えている場合もあります。勉強や努力の仕方がわからず、その何段階も前でつまずいてしまう子がいる現実も見えてきました。
小学校や中学校は義務教育であるにもかかわらず、環境や特性によってその教育からこぼれ落ちている子がいる――。努力の仕方から教える必要がある子たちに対して、教育のプロとして何をすべきかを考えるようになり、試行錯誤を始めました。
忘れないでいただきたいのは、努力ができない子というのは「怠けている子」ではありません。「努力ができない環境にいる子」や「努力の仕方がわからない子」という意味です。この子たちに努力の仕方を教えることが、私たちがなすべきことであると考えています。
スモールステップで努力の第一歩を踏み出させる
――現在、小清水先生のクラスでは漢字テストでも平均点が95点を超えるなど、めざましい成果を上げている指導法があると聞きました。どのような指導なのか、ポイントを教えていただけますか。
例えば、50問の漢字テストを実施するとしたら、まず答えを公開します。なお、すべての練習は授業中にしてもらうので、宿題はなしです。
「答えは自分で考えないと身にならないのでは」と思う方もいらっしゃるかもしれません。でも、それは努力できる子への指導法。努力ができない子は、答えの調べ方も見当がつきません。特に高学年ではこれまでの「できない」の積み重ねで「どうせ自分には……」とたやすく諦めてしまう子も多い。そこで「これならできる」というゴールまでの道筋を見せることを重視しています。
漢字テストは思考力を問うものではないので、字の形を覚えれば正解できます。なぞり書きから始め、書き写しへとステップを踏みながら漢字を覚えていきます。
ここでポイントになるのが、小さいステップでチェックすることです。「10問できたら先生のところに持ってきて」と指示し、細かく区切ってチェックします。「きれいになぞれているから100点!」「線が濃くてきれいだから200点!」といったように、どんどんマルをつけて加点していきます。

子どもたちの反応も、目に見えて違います。高得点がもらえるとやっぱりうれしいし、とくにこれまで努力ができずにいた子は「自分にもできるんだ」と小さな自信につながり、自分で学び始めるきっかけになることもあります。実際に「子どもが以前よりも前向きになった」と保護者の方からお手紙をいただいたこともあります。
――子どものやる気を自然に引き出せるようになるんですね。
やる気というのは、出させようと思って出るものではありません。もちろん最初からやる気がある子はそれでいいですが、そうでない子に対しては「楽しい」と思えるような指導を意識し、指導の中にビンゴなど、ゲームを取り入れることも。

(写真:本人提供)
それでも難しい子には「最後の1画を書いてみよう」とか「部首だけ書こう」と個別に声かけをして、ハードルを下げるようにしています。中には読み書きに困難がある子もいるので、そういった配慮をしないと「自分には絶対できない」とドロップアウトしてしまうと思うんですよね。
「ずるい」の声には「平等」と「公平」の違いを説明
――個別の声かけのような配慮を、周囲の子が「楽をしてずるい」と感じたりすることはないのでしょうか。そうした場合にはどのように対応していますか。
もちろんあります。それは絶好のチャンスです。「あの子だけずるい」と言う子が現れたら、子どもたちを集めて「平等」と「公平」の違いを説明しています。
例えば社会科見学で何かを見るとき、背が低い子は後ろの列だと見えにくい。そういう子は前に配置したり、踏み台を用意したりすれば見えるようになりますね。これが「公平」ですが、学校教育では全員同じ条件のもとに置く「平等」を重視しているように思います。背が低い子も高い子も同じ高さで見る、これが平等です。そうすると、背が低い子は困ってしまいます。
漢字テストでの配慮は、背が低い子に踏み台を用意するのと同じことです。「全員を平等に扱うなら、先生は『体育が苦手でも逆上がりができるまで特訓』『嫌いな食べ物があっても給食は完食しなさい』と言うことになるよ」と子どもたちに言うんです。すると、「平等を求めると、時には自分にも無理な要求が返ってくる」ことを理解してくれます。
「子どもに努力を求めない」と決めると腹が据わる
――子どものやる気に頼らない指導を実践したいと考える教員の方に、アドバイスやメッセージをお願いします。
努力できる環境にない子、一人での努力が難しい子は必ずいます。でも、その子たちこそが「教育でしか救えない子」。勉強の仕方、努力の仕方がわかれば自分で歩き出せる子も少なくありません。その子たちは騒いだり暴れたりして授業を妨害することはなく、静かに困っているかもしれない。その存在にまずは目を向けていただけたらと思います。
「子どもの努力に頼らない」と決めると、自然と腹が据わります。教材を変えたり授業の進め方を工夫したり、いろいろなアイデアが浮かんでくるはずです。「手間がかかるから大変そう」と思うかもしれませんが、実は精神的にはいいんです。
例えば先にお話しした漢字テストの練習では、しっかりなぞれているか、きれいに書けているかを確認して、授業内で完結。子どもたちの頑張りに対して笑顔で「マル」をつけるだけですし、叱る必要もない。宿題なしなので回収してチェックする手間もない。先生たちもラクができる方法なんですよ(笑)。
小学校の教員である私が子どもと関われるのは、小学校を卒業するまで。その間に何ができるか。一番は「学び方を学ばせる」ことです。勉強の中身そのものというよりも「自分はこのやり方でなら勉強ができそうだ」という自分なりの方法を見つけてもらうこと。学びはずっと続いていきますから、その方法を身につけてもらうことが、私たちの使命かなと思っています。
(文:藤堂真衣、注記のない写真:ペイレスイメージズ1(モデル)/ PIXTA)