形式的な取り組みで終わっている大学が多い
ファカルティ・ディベロップメント(以下、FD)とは何か。一言で言うと、教員が教育の内容・方法を改善し向上させるための組織的な取り組みのこと。
そもそもは、欧米で大学が大衆化される過程で、質の悪い教育が展開され、伝統的な大学教育へ回帰しようとする動きからFDは生まれたという。
日本でも学生運動の盛り上がりに対し、一時、自主ゼミなど本来の教育を取り戻そうとする気風も見られたが、学生運動の鎮静化とともに、その流れも衰退していった。FDが専門の東京大学 大学総合教育研究センター教授 佐藤浩章氏はこう話す。
「教壇に立つためには知識が必要で、初等・中等教育機関の教員になるには教員免許を取得しなければなりませんが、高等教育機関の教員に免許は必要ありません。そこで欧米では、早くから大学教員向けの研修、つまりFDの取り組みが、各大学による自主的な取り組みを基盤にボトムアップ型で進められてきました。日本では、トップダウン型で、文科省が政策誘導によって1999年にFDは努力義務化、2008年には実施義務化されました。しかし、いまだに日本では年に1回1時間の講演会聴講など、形式的な取り組みで終わっている大学が少なくありません」
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東京大学 大学総合教育研究センター教授
1997年北海道大学大学院教育学研究科・修士課程修了、2002年北海道大学大学院教育学研究科・博士後期課程単位取得退学。博士(教育学)。同年より愛媛大学大学教育総合センター教育システム開発部講師・准教授、教育・学生支援機構教育企画室准教授・副室長、2013年より大阪大学全学教育推進機構准教授、教育学習支援センター副センター長、学際大学院機構教授を経て、2024年8月より現職。専門は高等教育開発(ファカルティ・ディベロップメント)
(写真:本人提供)
2022年の大学設置基準の改正でFDとSDが一体化
FDは主に大学教員を対象とした取り組みだが、大学の運営に関わる教職員に必要な知識や技能を習得させ、能力と資質を向上させるスタッフ・ディベロップメント(以下、SD)という取り組みもある。
日本では、2008年の大学設置基準によりFDが義務づけられたあと、2022年の大学設置基準の改正によってFDとSDが一体化された。
それにより教員にも、授業以外のカリキュラムや学習支援、学生サポートなどが義務化されるなどFDとSDの範囲が広くなるとともに、大学院生の指導補助者(ティーチング・アシスタント)への研修も義務規定となった。
第三章 教員組織
(教育内容等の改善のための組織的な研修等)
第二十五条の三 大学は、当該大学の授業の内容及び方法の改善を図るための組織的な研修及び研究を実施するものとする。
第九章 事務組織等
(研修の機会等)
四十二条の三 大学は、当該大学の教育研究活動等の適切かつ効果的な運営を図るため、その職員に必要な知識及び技能を習得させ、並びにその能力及び資質を向上させるための研修(第二十五条の三にする研修に該当するものを除く。)の機会を設けることその他必要な取組を行うものとする。
第三章 教育研究実施組織等
(組織的な研修等)
第十一条 大学は、当該大学の教育研究活動等の適切かつ効果的な運営を図るため、その教員及び事務職員等に必要な知識及び技能を習得させ、並びにその能力及び資質を向上させるための研修(次項に規定する研修に該当するものを除く。)の機会を設けることその他必要な取組を行うものとする。
2 大学は、学生に対する教育の充実を図るため、当該大学の授業の内容及び方法を改善するための組織的な研修及び研究を行うものとする。
3 大学は、指導補助者(教員を除く。)に対し、必要な研修を行うものとする。
質保証の観点から、授業を補助させること等ができる当該大学の学生その他の大学が定める者について、研修を実施することを新たに義務付け。また、教職協働の促進の観点から、改正前の大学設置基準上では離れた位置に規定されていた SD・FD 関係の規定も集約。
出所:大学設置基準を一部抜粋
では、具体的にFDでどんなことをやっているのか。文部科学省の調査によると、講演会・シンポジウム、新任教員を対象とした研修、教育方法改善のためのワークショップまたは授業検討会、教員相互の授業参観を実施している大学が多い(文科省「令和4年度の大学における教育内容等の改革状況について(概要)」)。
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「例えば、新任教員に対して、大阪大学では3年間で30時間、愛媛大学では70時間の研修を義務化しています。欧米の大学では、研修を受けなければ終身雇用資格(テニュア)を付与しないのは一般的なことですが、日本では大学院を出たばかりの新規採用教員にテニュアを与えてきました。昨今は任期付き教員も増えていますが、研修を受けなくてもテニュアを付与している大学が今もあります」
日本では「教員の教育面での業績評価」が機能していない
前述の文科省の調査では、FDに関するセンターなどの組織を設置している大学は79%におよぶ。だが、日本の大学におけるFDの取り組み状況は低調だと佐藤氏は嘆く。
「私のようなFD専任の常勤の教員は非常に少ないのが現状です。そのため、多くの大学では外部から講師を一時的に呼ぶことになります。アメリカでは、昇進や転職を控えた教員が駆け込み寺のようにFD担当教員に相談に来ることが多く、個別の授業コンサルテーションも活発に行われています。その理由は、教員の教育面での業績評価が細かく厳しいからです。一方、日本でも教育業績評価はやってはいるものの、よほどのマイナス評価でない限り、問題になりません。日本でFDが広がらないのは、教員の教育業績評価がきちんと機能していないことも大きな要因です」
もともと大学では、研究の業績評価については指導方法もフィードバックも確立されている。だが、教育の業績評価は各自が受けてきた教育の経験に左右されるケースが多い。かといって、新任教員向けの研修が充実しているわけでもない。結果として、授業の上手な先生とそうでない先生の差が埋まらず、年に1度の研修を受けても実質的な効果はないという結果を生んでいる。
「今では、大学院生を対象としたプレFDのプログラムも行われています。その目的は、教員になった瞬間からしっかりと教えられるようにするもので、国内の大学でも徐々に広がっています。東大では立ち上げてから12年目で年間100人程度、大阪大学でも10年目で年間60人ほどが教員になる前に正規の授業を受けています」
実際、東大のFDの現状はどうなのか。残念ながら、これまでは教員個人の努力と学生の優秀さに依存してきたところが大きいという。まずはティーチングアシスタント、そして新任教員、ベテラン教員向けに順次プログラムを展開していく方針だ。東大でFDを推進する教員の1人である佐藤氏も述べる。
「東大でも、コロナ禍に授業をオンライン化しなければならないときは、多くの教員がFDに熱心に取り組みました。ときどきのトピックによって、かなりの数の先生が研修を受ける場合があり、最近では生成AIに関する研修も受講者が多くなっています。しかし、体系的なFDプログラムについては、現在構築中という状況です」
中小規模の大学のほうがFDに熱心?!法令化も検討を
一方、FDの好事例はあるのだろうか。文科省が認定している教育関係共同利用拠点として、大学の職員の組織的な研修等の実施機関が全国にある。
北海道大学、東北大学、名古屋大学、九州大学などの旧帝大、千葉、群馬、愛媛、熊本などの地方国立大学、あるいは筑波大学などが中心となって、教員の能力向上プログラムなどに取り組んでいる。
「国立大学はFDに関する教育関係共同利用拠点に認定されると予算が付き、他大学のFD支援を行うことができます。すでに愛媛大学や北海道大学などの大学が認定されています。私立大学では、芝浦工業大学が理工学教育共同利用拠点として取り組みを始めています。ほかにも立命館大学や大正大学もしっかりとした新任教員向けのFDプログラムを行っています。私立大学では中小規模の大学のほうが、よりFDに熱心だと言えるでしょう」
大学には研究と教育という二本柱があるが、欧米に比べて日本の大学教員は、研究者であることにアイデンティティを持つ傾向が強い。そのため、研究業績が評価されればいいと、教育者としての側面が疎かにされることも少なくない。佐藤氏が続ける。
「大学教員が、勤務先の学生の学力の低さを嘆いている投稿をネットで見かけることがありますが、これは大きな問題です。大学は学生を入学させた以上、能力・資質を伸ばすことが役目です。教員自身が教育者である自覚や努力を欠いたまま、学生に主体的に学べと号令をかけるだけでは手抜き以外の何物でもありません。大学教員は研究者であると同時に教育者であることを改めて認識してもらうためにも、教育者としての研修は不可欠です」
文科省「令和4年度の大学における教育内容等の改革状況について(概要)」によると、自大学に常勤の教職員をFDの専門家として活用している大学は27.5%にとどまる。FDの専門家が集う日本高等教育開発協会(JAED)という教員組織の会員数も48名とまだまだ数は少ない。日本にFDを根付かせるためにはもっと人数が必要だという。
「私がやっているこの仕事は、教員からはあまり感謝されない仕事です。若いFD担当教員がベテラン教員から批判を受けることもよくあります。しかし、1人の教員を変えることができれば、多くの学生たちを救うことにもつながります。より多くの学生の学びを促進し成長させることができるかもしれないのです。学生の成長を遅らせてはいけないし、止めてもいけない。FD担当教員は教員を変えることで、学生も変えて、大学も変える仕事でもあるのです」
今後、日本の大学が形式的なFDから脱するためにはどうすればいいのだろうか。佐藤氏は、このままボトムアップ型を続けても定着は困難だと指摘する。
「実は、フランスも日本と同様、FDが停滞している状況に長らくありました。そのフランスが数年前に新任教員に対するFDを法令上、義務化しました。スウェーデンでは、FDを法制化したものの、大学学長らの反対によって廃案となりましたが、学長らの合意によって、FD研修を強化してきました。
このように、法令による義務化ではなく、大学関係の連合組織、例えば国立大学協会や日本私立大学連盟・日本私立大学協会などが自主的に取り組みを進めるのが望ましいと思っています。今、大学教育の質に対して国民の目は厳しいものがあります。大学教員の質を高める取り組みを大学関係者自らが構築できなければ、一時的にでも法令上でさらに一歩踏み込んだ義務化が必要な時期かもしれません」
日本の大学教育は、かなり以前からマスプロ化が指摘されてきた。最近でも、欧米の大学との比較で大学教育の強化が政府や企業からも叫ばれるようになっている。
少子化が進む中、日本の大学が生き残っていくには、教員の教育能力を強化することは欠かせない。魅力的な大学であり続けるためには、魅力的な教育を提供する大学であり続けなければならない。そのために、やはりFDには力を入れるべきだろう。佐藤氏もこう言う。
「少子化に伴って、大学は選ぶ時代から選ばれる時代に生きています。日本の大学ではなく、海外の大学を選ぶ学生も増えています。これから日本の大学が、留学生も含めた多くの学生に選ばれ、生き残っていくためには、キャンパスや偏差値といった要素以上に、学生がどれくらい成長できるのかが重要です。それは何より大学教員の教育力にかかっています。今まで以上に、受験生や保護者は授業やカリキュラムに注目するようになっています。よい学びと成長を提供することこそが大学の差別化につながるのです。それができない大学は早晩、撤退することになるでしょう」
(文:國貞文隆、編集部 細川めぐみ、注記のない写真:takeuchi masato / PIXTA)