「保護者対応」という言葉への違和感

――林先生は著書の中で、長年「保護者は『対応』するものなのだろうか。『対応』という言葉に『うまく対処する』という意味を感じ取ってしまう」と、「保護者対応」という言葉の違和感について、ふれていらっしゃいます。

「保護者対応」という言葉がどのように生まれ、いつから使われているかは知りませんが、私自身は2007年頃、教員になって初めて聞きました。そのとき、「対応」という響きに違和感を持ちました。学校側が保護者と線を引き、違う世界の住人同士のようで、お互いに心を許し合っていない関係性が見えた気がしたのです。

私は教員になる前は、子育て支援や家族支援の仕事もしていたので、「保護者とも密に関わりたい」という思いがありました。ですから、その「対応」という言葉が示す距離感に、寂しさを感じたのです。私自身3人の子どもを育てており、かつては学校にモノ申すタイプの保護者だったこともあり、「(保護者だった)私は、学校に意見するたび先生方に『対応』されていたのだ」と、悲しい気持ちにもなりました。

しかし、実際に教員になって保護者と接するうちに、なぜ「保護者対応」という言葉が存在し、使われ続けているのか、その背景が少しずつわかってきました。

――林先生が考える「背景」とは。

林 真未(はやし・まみ)
中野区立白桜小学校教諭、ファミリーライフエデュケーター(家族支援職)、5つの子育てひろばと2つの子ども家庭支援センターを運営受託する子育て支援NPO法人「手をつなご」理事
大学卒業後、雑誌記者を経て3人の子育て中にカナダ・ライアソン大学(現トロント州立大学)の通信教育で家族支援職資格を取得し、全国で講座・講演活動後、小学校教員に。現在も、教員の傍ら家族支援活動を継続中。著書に『困ったらここへおいでよ。日常生活支援サポートハウスの奇跡』(東京シューレ出版)、『子どものやる気をどんどん引き出す!低学年担任のためのマジックフレーズ』(明治図書)ほか、最新刊に『保護者「対応」をやめる 親と先生の新しい関係をつくる学級経営』(明治図書)
(写真:本人提供)

保護者は、よくも悪くも「そのとき自分の目に見えるものしか信じない」という側面があると思います。例えば、普段はとてもいい授業をしている先生でも、たまたま参観日にうまくいかなかったりすると、その日の印象だけで「この先生、授業ダメね」と思ってしまう。

また、表面上とても親切で優しく接する先生は、保護者からすぐに信頼を得がちです。一方で、本当は温かい心の持ち主でよい実践も行っているのに、伝え方が不器用だったり、真面目すぎて笑顔が少なかったりすると、保護者からは「あの先生は冷たい」などと思われてしまうことがあります。仕方がないかもしれませんが、保護者は先生の「本質」よりも、「目に見える態度」で判断しがちなのだと感じました。

――私自身も保護者として、先生に対してそのように感じたことがあります。

さらに、学校は、さまざまな事情で時と場合により保護者に「本当のこと」を伝えられないこともあります。でも、納得できない保護者は、「どういうことなのですか?」「なぜ説明してくれないのですか?」と、詰め寄ってくることも。このような状況を目の当たりにするうちに、ああ、なるほどな、と。学校が「誤解されないように」「不信感を与えないように」と、すべての保護者に対して画一的な「保護者対応」を行うのは、こうした事情が一因なのだと腑に落ちました。

――「モンスターペアレント」という言葉が定着して以来、「保護者対応」をめぐるトラブルは後を絶ちません。先日立川市で起きた事件のように、学校の業務に大きな支障をきたす事例も頻繁に報じられています。

立川の事件のようなセンセーショナルな報道のされ方は、とても危険だと思っています。あの事件はあくまで例外中の例外です。保護者の方のほとんどは、いわゆる「サイレントマジョリティー」。協力的で理解があり、私たちを信頼して子どもを任せてくれています。

あのような大きな事件が起きると、「なんでこんなことになったのだろう」「背景は何だろう」などと考えたくなるのは十分理解できますが、たった1つの特異なケースをもって、「保護者ってこうだよね」「保護者対応ってこうするといいよね」などと大きな主語で語ってしまうのは、どうなのかと。

――確かに、そうした報道が過剰に注目されることで、保護者が持つ学校への信頼や、日々の地道な連携が見えにくくなってしまう面がありますよね。

日本にはもともと、近所の人や親類といった「インフォーマルな(非公式な)支援システム」が分厚く存在していました。ひと昔前は、地域全体が子どもを見守り、ちょっと困ったことがあればこれらの方々が手を差し伸べ、いわゆる「はみ出し者」も皆でケアしあいながら、なんとかやってこられたのです。

しかし、核家族化や働く人の長時間労働が常態化し、さらにかつて地域にいた女性や高齢者が仕事に出てしまったため、こうしたインフォーマルなリソース(支え)が失われてしまいました。その結果、本来地域や家庭で担われていた役割が、今は学校に「最後の砦」として集中してしまっています。学校システムが全体的に行き詰まっている一端には、「モンスターペアレント」というより、このような問題があると捉えています。

本当に困っている保護者を支えるシステムが整っていない

――自治体によっては、専門部署をつくって保護者対応する動きもあります。このような取り組みについてのご意見を聞かせてください。

教員の負担軽減という視点から見れば、「保護者対応専門部署」の設置には賛成です。ごく一部の保護者からの理不尽なクレームによって先生方がストレスを抱え込み、日々の業務に支障をきたすくらいなら、専門部署はあったほうがいいと思います。

ただし、家族支援者の立場から言うと、その専門部署があるのなら、いわゆる「モンスターペアレント」と呼ばれるような行動をする人たちは何かしら抱えている問題があるはずですから、そこをしっかりひも解いて、その方の心と体の健康を守るところまで関わってほしいと思います。

「モンスターペアレント」と指摘される方々は、多くの場合、ご自身が抱えている問題に無自覚なことが多いものです。そうした方々への支援は非常に難しく、また根気がいるもので、継続的なサポートが必要です。これは、多忙な学校の先生方が片手間で担えるようなことではありません。

――スクールカウンセラーやスクールソーシャルワーカーが、その役割を担うことができるのではないでしょうか。

スクールカウンセラーやスクールソーシャルワーカーに加え、主任児童委員、子ども家庭支援センター、児童相談所といった専門職の方々が、困っている保護者を支援すべきだと定義されています。そして、それぞれの立場で熱意を持って懸命に取り組んでいる方もたくさんいらっしゃいます。

ただ、ここで大切なのは、「誰がやるべきか」と、肩書(属性)や資格に注目するだけではなく、「難しいその支援を、最後までやり遂げられる人がいるか」「どのようにやり遂げるのか」に目を向けることだと私は思います。もちろん、一人ひとりの専門職の方が頑張っているのは確かです。しかし、すべての関係機関が効果的に連携し本当に困っている保護者を手厚く最後まで支えるためのシステムが、日本全体でしっかり整っているかと言ったら、残念ながら「整っていない」というのが現状だと感じています。

保護者と「対等」で「隣り合う」関係へ

――「先生」にとって、「保護者」とはどのような存在なのでしょうか。先生と保護者はどのような関係が望ましいとお思いでしょうか。

子どもを育てる責任を負っているのは保護者です。制度的に捉えるなら、「先生」は、保護者が果たすべき第一義的責任のうち、「学業」の部分を期間限定で「肩代わりしている存在」です。「子育ての期間は子どもが成人するまで」と捉えるならば、保護者は、子どもが0歳から20歳になるまでずっと子育てしています。もし私たちが、その20年間ずっと一緒に子育てしているなら「仲間だね!」と言えるかもしれません。

先生が担任として保護者と関わるのは、たった1〜2年。けれど、短い期間であっても「子どものよい育ち」という同じ目的を見据える濃密な関係です。この期間だけでも「仲間」として過ごせたらいいなと思っています。「対応」という「向かい合う」関係ではなく「対等」で「隣り合う」関係として。

――「仲間」として「共に歩む」ということでしょうか。

本当は、保護者とは「精神的に裸で付き合いたい」という思いがあります。「精神的に裸で付き合う」とは、お互いに不満や希望があれば包み隠さず伝え合い、できない場合はその事情をていねいにきちんと伝え合うということです。しかし、これには信頼関係が不可欠であり、現状ではその信頼関係がないから「保護者対応」が存在するのです。

だから私は、先生たちに、先生という立場からまず一歩踏み出して、1人の人間として、「保護者対応」のその先にある、信頼し合う関係性を一緒に築いていきませんか?というメッセージを送りたいのです。

――林先生がおっしゃる信頼関係は、どのように築けばよいのでしょうか。

先生が、保護者と真に強い信頼関係を築くには、時に「傷つく覚悟」も必要になると考えています。保護者から苦情を言われたり、厳しい指摘を受けたりしたとき、「保護者対応」を使わず本音で想いを伝えたら、より強い言葉を浴びせられ続けるかもしれませんから。

それでも、「この方は、お子さんを心から大切に思っているからこそ、今、このような感情になっているのだな」「もしかしたら、私の対応で不十分な点があったのかもしれない」と、相手の背景を想像し、自身のあり方を見つめ直します。「心の奥底に芽生えた少しネガティブな感情」を必死で抑え、保護者への愛や理解の気持ちを失わないように踏ん張るのです。

――日々忙しい先生にとって、ハードルが高いのでは。

正直、これが完璧にできる先生はほとんどいないと思います。かくいう私自身も、保護者を分け隔てなく愛せる人格者ではありません。この取材で立派なことを答えていますが、日々の保護者との関係では、「保護者対応」を超えようと気負っては、うまくいかずに失敗ばかりしています。

そもそも、先生だって人間ですから、理不尽なことを言われたら、やっぱり腹が立ちますよね。でも、そんなことは言っていられません。子どもと保護者は地続きですから、子どもを幸せにしようと思ったら、保護者を愛するしか方法はないんです。

しんどいとき、頼りになるのが身近の仲間です。管理職の先生や先輩の先生など「自分を支え、応援してくれる」というのは大きな力になります。多くの先生方は保護者との関係で悩んだ経験がありますし、「いつか自分も同じ状況になるかもしれない」と思っていることが多いため助けてくれるし、心配してくれるんです。私もたくさん、周囲の方に助けられてきました。先生方だけではなく、保護者の方も含めて。

また、学校は、基本的に「報・連・相」がとても大切な場所です。一人で抱え込まず、「報・連・相」をしっかり行って助けを求めることが大切です。もちろん、残念ながらそうした助け合いが難しい環境もあるかもしれません。もしそうなら、それはとてもつらいことですよね。そんなときは、職場の外でもいいと思うので、とにかく誰か、話をする相手を探すべきです。

学校や先生を信じてほしい

――先生と「対等」で「隣り合う」関係になるために、保護者は何が必要でしょうか。

保護者の方には、「学校や先生を信じてほしい」と心から願っています。シンプルに、その一言に尽きます。また、先生たちの働く環境についても知っていただきたいです。今、多くの先生たちは、残業代が出ない無賃労働を毎日3時間ほどやらざるをえないのが実情です。それは、子どもたちのためにきちんと教育環境を用意したい、保護者の要望にもなるべく応えたいと考えるからです。

例えば、定時を過ぎた午後7時からの個人面談でも、「大丈夫です」と快く引き受ける先生がほとんどです。多くの先生たちが「人のよい」部分を持っているからです。しかし、勤務時間外の対応には、先生たちの時間的・体力的な負担が伴います。

けれど、誰かがそのことを伝えてしまうと、「あの先生は対応してくれたのに、この先生は勤務時間を気にするのか」といった声につながるのではないかと、先生たちは懸念しています。そのため、本来伝えたいことも胸にしまい、「わかりました、7時ですね」と引き受けているのが実情です。個人面談はあくまで一例ですが、さまざまな場面でこのようなことが起きています。

――保護者が先生に何かを伝えたいとき、意識するポイントはありますか?

何か疑問や心配なこと、伝えたいことがあれば、感情的にならず、まずは「これはどうなっているのですか?」と、素直に尋ねていただければと思います。そうすれば、私たちはすべての状況をていねいに説明し、疑問にお答えすることができます。最初から強い不満や怒りの感情で伝えられてしまうと、その感情を受け止めることに終始してしまい、本来伝えたいことや、解決に向けた建設的な話し合いが難しくなってしまいます。

――林先生は、保護者にどのような言葉を伝えていらっしゃるのですか?

そのときの状況や相手により異なりますが、以下の言葉は、私の口から自然とよく出るフレーズです。

◉「大丈夫ですよ」

保護者は、「うちの子大丈夫かなぁ」と、絶えず気にしています。だからこそ、最初に安心を伝えます。これから先、長い人生を送る間でもっと大変なことに出会うかもしれません。それに比べれば、今の悩みなんて「大丈夫ですよ」という気持ちもあります。

◉「一緒にやりましょう」

持ち物がそろわない、宿題を出さないなど子どもに目を向ける余裕がない保護者に伝えます。子どもの学習準備の習慣が定着するまで、用意できない物を貸したり、「夜遅くまで開いている○○スーパーに売っていますよ」と情報を伝えたりなど、こまめに保護者を励まします。

◉「聞いてみますね」

保護者からの要望や提案、質問に対し、管理職の判断が必要でその場で回答できないときにこう答えます。聞いた結果は必ずフィードバックし、期待に添えない場合は、どう聞いたのか、なぜダメなのかを電話でいいので詳しくていねいに説明します。

◉「心配は(なるべく)しないでくださいね」

保護者、とくに母親が心配するとそれが子どもに「自分は心配な存在なんだ」という認識となって伝わり、自信が持てなくなります。自信が持てなくなると、チャレンジを怖がり、失敗を避けるようになります。子ども時代は「失敗してナンボ」ですから、この言葉は毎年一生懸命保護者に伝えています。

◉「今、友達がいてもいなくても、まったく気にすることはありません」

保護者の心配事でいちばん多いのが、「友達とうまくやれているか」。どの子も必ず、いつかきっと、長い人生のどこかで友達とのすてきな出会いに巡り合います。大人が過剰に心配しなければ、子どもたちは自分のやり方で人生を切り開いていけるように思います。

◉「学校では、毎日いろいろありますよ」

たくさんの子どもたちが日々を共に過ごす学校という環境では、いろいろなことが起きるのが当たり前。それをあらかじめわかっておいてほしくて、保護者にいつも伝えています。

◉「大事なのは幸せです」

子どもの才能を最大限に伸ばしたいという保護者の思いと、学習成績やスポーツ・芸術活動の成果をあげることに夢中になりすぎて子どもを追い詰めてしまう、いわゆる「教育虐待」は地続きです。素朴な願いが変質することのないよう、保護者と共有しておきたい言葉です。

これらはあくまでも、私の心から生まれた言葉です。実際には先生方それぞれが、自分らしい言葉でコミュニケーションを図ってほしいと思います。

簡単な道のりではないけれど…

――不登校の子の保護者とはどのように関わっていらっしゃいますか?

不登校で一番つらい思いをしているのは、実は保護者の方々だと私は考えています。保護者のつらい気持ちを、どうにかして和らげたい。その方法を一緒に見つけたいと願っています。

そのために、不登校のお子さんを持つ保護者の方とは、面談の機会を設けたり、日頃から連絡を取り合ったりして、励まし合うことを大切にしています。

――林先生が考える、これからの学校と保護者の関係性について聞かせてください。

私が目指すのは、学校と保護者が「対立」するのではなく、「連携」し「対等な人間同士」として子どもたちの成長を支える関係です。

これまでお話ししてきたように、多くの先生たちは、子どもたちのために日々奮闘しています。時には心ない言葉に傷つきながらも、時間外労働もいとわず、目の前の子どもたちと保護者のために尽くそうと努力しています。

繰り返しになりますが、先生も人間です。完璧ではありませんし、理不尽なことに感情が揺さぶられることもあります。そんなとき、先生を支えるのは、職場の仲間であり、そして何よりも、「信じてくれる」保護者の存在です。

かつて地域社会が担っていた「インフォーマルな支援システム」が薄れる中で、学校が「最後の砦」となり、さまざまな課題を抱え込むようになりました。だからこそ今、私たち学校と保護者が、お互いの立場を理解し、尊重し、心を裸にして語り合える関係を築くことが不可欠だと思います。

それは決して簡単な道のりではありません。先生には「傷つく覚悟」が必要であり、保護者には「信じる気持ち」と「歩み寄る姿勢」が求められます。しかし、その先にこそ、子どもたちが安心して学び、健やかに成長できる、素敵な未来があると信じています。

(企画・文:長島ともこ、注記のない写真:metamorworks / PIXTA)