教師は骨を折られても泣き寝入り

生徒ではなく、教師が被害者になることもあります。これは私自身が実際に経験したことですが、ある時、学校で生徒が大暴れしたことがありました。その生徒は過去にもたびたび癇癪(かんしゃく)を起こし、暴力を振るったり、物を壊したりするような子でした。

もちろん、学校側でも、その子の特性をできるだけ把握し、対策はとっていますし、本人にも保護者にも何度も話はしています。しかし、それでもなかなか収まらない。

そこでその時も先生が何人かで止めに入ったんですが、その日の暴れっぷりはいつも以上でした。その生徒、階段の上まで一気に駆け上がったかと思うと、いきなり階段上から学年主任に向かって跳び蹴り!をくらわせたんです。学年主任の先生は、あばら骨を折る大ケガをしてしまいました。

もちろん、学校側がその生徒の特性を理解し、最大限の対策をとる必要があったでしょう。でもこれ、普通に暴力事件ですよね?

たとえば、市役所の中で市民が暴れて、市職員があばら骨を折るケガをしたとなったとします。おそらくすぐに警察に通報され、暴れた人は即連行されるでしょう(もちろん、生徒の特性を把握している学校と、前情報のない市民の対応をする市役所では状況は同じではないですが)。

でも学校では、ケガ人も出る暴力沙汰のような重大事件が起こっても、警察を呼ばないこともあるんです。なぜなら、大ごとにしたくないからです。

先ほどのケースでは事件の後、緊急の職員会議が開かれて、先生たちが集められました。そこで教頭から「今日こういうことがあったので、これから家庭訪問をして保護者の方にも事情を話し、対処していきます」という説明がありました。そこで私は居ても立っても居られず手を挙げて訊きました。

「なんで警察を呼ばないんですか? 骨折してるじゃないですか、傷害事件ですよね?」と。すると教頭が校長にヒソヒソ耳打ちして、「そこも含めて今検討中なので……」と返ってきたんですね。

結局、この件が警察沙汰になることはないままでした。学年主任は自分で病院に行って、自分でお金を払って治療を受けたんです。もちろん労災が下りることもありませんでした。

労災が下りるには、事件を公にしなければなりません。でも学校は、それをやりたがらないんです。なぜこのようなことになるのか? それは「生徒を犯罪者にするのか?」という声が保護者はもちろん、校内からも上がるからです。

学校が生徒を警察に突き出したら、生徒を犯罪者にしてしまう。生徒の将来を潰すわけにはいかない……と強く主張するような先生は、必ず一定数存在します。「あの学校から逮捕者が出た」と言われたくないと、体裁を気にする先生もいますね。

でも私は思うんです。「学校は治外法権にしちゃいけない」と。学校の中だろうが外だろうが、事件を起こしてしまったら、きちんと法の下で平等に裁かれるべきです。

市役所の職員が市民から跳び蹴りをされて骨をへし折られたら、即警察を呼ぶでしょう。蹴った人の将来がどうなるかなんて関係ありませんよね? それが社会の常識なんです。

ただ学校がちょっと特殊なのは、まだ善悪の判断がつかない未成年の子どもたちを預かっている教育の現場であるという点です。そのせいで、警察を呼ぶかどうかの判断がとても難しい場面もたしかにあります。

「指導の方法が悪かったのじゃないか?」
「前途のある子どもを犯罪者にするのか?」
「教師の対応にも問題があったんじゃないか?」

そんな声が必ず出てきます。そのせいで結果として、たとえ暴言を吐かれても、授業を妨害されても、暴力被害に遭っても、多くの教師は泣き寝入りせざるを得ない。そんな悲しい現実があるのです。

教師が「裁判保険」に入る時代!?

中には教師が被告人になってしまうトラブルもあります。一方的にクレームをつけられて、民事裁判にまで発展することがあるからです。

「いつ多額の損害賠償請求をされるかわからない……」
「裁判を起こされたら弁護士費用も個人で支払わないといけないらしい」

今や多くの教師はそういう不安を抱えながら仕事をしています。悲しいことですが、それが教育現場の現実。そこで現役時代に私が取っていた対策に『裁判保険』があります。

あるとき、他の学年の学年主任だった先生との会話の中で、「裁判保険っていうのがあるんだけど、知ってる? 実は俺、入ってるんだよね」……と聞いたのが、私が裁判保険を知るキッカケでした。

もちろん学年主任の先生は保険の外交員でも、ネットワークビジネス目的でもなんでもなく、ただの話題として挙げただけ。熱心に勧めてきたわけではありません。でも、私は即その保険に加入しました。

その頃も、他県でプールの水止め忘れ事件があったり、業務中の過失で教師個人が賠償責任を負わされたというニュースを何度か耳にしたりしていたからです。

ちょうど『モンスターペアレンツ』が大きな問題になっていた頃でもあります。激烈で無茶なクレームを入れてくる保護者は、実際にどこの学校にもいたし、周りの学校で先生が保護者ともめて訴えられたというような話も耳に入っていました。

当時、荒れた学校で勤務していた私も、保護者から一方的なクレームを入れられることが当然あったので、「自分もいつか訴えられるかも……」という危機感は、ずっとあったんです。裁判保険というのは文字通り、自分が訴えられたときの裁判費用、弁護士費用、あとはプランによっては、実際に損害賠償を払わなければならなくなったときにそれも補償してくれる、というもの。

当時、学年主任や教務主任などの管理職で裁判保険に入っていた教師は、周りにもけっこういました。

記録を取ることで『自己防衛』

私たち教師は他にもリスクマネジメントとして心がけていることがあります。それは、ちゃんと『記録』を取っておくこと。

たとえば、「◯月◯日19時、A子さん母からTEL。娘が学校に行きたくないとのこと」

「◯月◯日放課後、A子さんより相談(教室にて)。B子さんから嫌がらせを受けている。C子に確認してみると伝える」などのようにできるだけメモする。保護者とのやり取りはもちろん、生徒への指導や、生徒間のトラブルについてもそうです。

可能な限りメモを取っておきます。もちろん、メモの大半は活用されることなく埋もれていくのですが、もし何か重大なトラブルが起きた時にはこのメモをさかのぼって、状況を整理することができます。

そうすると、「いつ何があって、どのような対応をしたのか?」を、理路整然と答えられるようになるのです。これは私に限らず、けっこう多くの教員がやっていることです。

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実際には手書きメモなどは、裁判では『証拠』にはなりません。でも、記録が残っていなくて、記憶も散らかって曖昧だと、証言の信憑性は薄れます。だから、自分の証言の筋を通す、裏付けるための材料として、記録がとても重要なものになるのです。

また、急に濡れ衣を着せられることもあります。たとえば、「先生に相談したら無視された」「先生からもう学校に来るなと言われた」「宿題を出したのに出していないと言われた」など、事実無根だったり、事実を歪曲したことを生徒が保護者に言って、それで保護者が怒鳴り込んでくるケース。

これは教師をやって、何千人も教えて体感したことなのですが、人間の中には一定数、『平気で嘘をつく人』がいるように思います。なんの悪気なく、反射的に、日常的に嘘がポンポン出てくるような人です。実際、そういう生徒が何人かいたのです(これはあくまでも私個人の経験・体感の話です)。

生徒と教師の言い分がまったく食い違っているとき、「じゃあ、どっちの言うことを信じるんだ?」という話になります。そんな場合、こちらがちゃんと記録を取っていて「何月何日にこういう対応をした」と書いてあれば、やっぱりそちらの方が、信憑性が高くなりますよね。

そういうことが本当によくあるので、実は管理職からも、「必ず記録を取れ」と耳にたこができるほど言われていました。また、これは防ぐのが難しいのですが、何気ない会話について、受け取り方の違いが原因で、トラブルになってしまうこともよくあります。

たとえば、こちらが冗談めかしたニュアンスで「そんな問題集やる意味ないよ(笑)」と言ったとします。それを生徒が親に「問題集はやる意味ないって先生が言ってたよ」と伝えて、それで親から苦情が来るみたいなケース。これはけっこうありました。

実際には、その前後の文脈があるのです。「基礎がわかってないのに、そんな高度な問題集やっても意味ないよ」というような。それが生徒から親に伝わる時点で、「先生が問題集やる意味ないって言ってたよ」という話になってしまう。

特に小学校だと、こういうトラブルが多いです。雑談の中でのちょっとした冗談が歪んで受け止められたり、真に受けられたりしてしまうというのは実際にけっこうなリスクといえます。

私自身の経験で言うと……中学生って、教師にやたらと年齢を訊いてくるんですね。

「先生、何歳? 教えてよ」と、1日に何回訊かれるかわかりません。現役時代の私は20代・30代だったのですが、ちょっと面倒くさくなって、「56歳だよ」と適当にあしらったことがありました。

すると、次の日にその子の保護者とバッタリ会って、訊かれたんです。「先生、56歳って本当ですか?」と。正直「いや、信じるなよ」と思いましたが、そんなこともあるんです(笑)。

私は、先生方ももっと声を上げなければいけない、と思います。教師が何十年も黙って、我慢して、働き続けてきた結果、ついに学校教育は崩壊の瀬戸際まで来てしまっているのだから。もっと声をあげて、まずは、保護者のみなさんに、現状を知ってもらうことが大事だと。

保護者と教師は一緒に子どもの成長を支え、後押ししていく存在です。教師もキレイゴト抜きの本音で語ること。そこがスタートです。その上でようやく教師と、保護者と、世の中の大人たちが同じ土俵に立って「じゃあ何ができるか?」と、学校の未来を考えていくことができるのではないでしょうか。

(注記のない写真:A_Team / PIXTA)