子どもが持っている母語のリソースを活用した日本語教育
NPO法人にわとりの会 代表理事の丹羽典子氏が、愛知県で小学校教員になったのは1981年のことだ。その後、1989年に出入国管理及び難民認定法(入管法)が改正されると、県内の工業団地で働く日系人や外国人が急増。丹羽氏が当時勤めていた小牧市の小学校にも、そうした子どもたちが入学してくることも多くなった。同氏はこう振り返る。
「最初はクラスに1人か2人、日本語がわからない子どもがいる程度でした。もっとも気になっていたのは、すでに高校全入とも言える時代にあって、こうした子どもたちは中学卒業後に進学できない確率が高いことでした。自分たちは親と同じように工場で働くしかないと投げやりになっている子どももいた。何とかしたいと思っても、1人の単なる担任としてできることはない、と半ばあきらめていました」
だが、やがて別の小学校に異動して「外国人担当」を任されたり、また別の小学校に転勤して国際教室を受け持ったりすると、丹羽氏の意識も変わってきた。まず具体的に感じたのは「2年生の壁」だ。
「小2で覚える漢字は小1のときのものに比べてぐっと難しくなり、数も2倍になります。画数も多くなり、子どもたちはよく『線が多くて真っ黒』とか『音読みと訓読みがいっぱいあってわからない』と言っていました。これは、日本人に教えるのとはまた別の方法が必要なのではないか、と考えるようになりました」
しかし丹羽氏が、つまり子どもたちが求めるような本や教材は、日本にも外国にもなかった。漢字の音訓と意味や用例を伝えるためには、自分で教材を作るしかない。その結論に至った同氏が開発したのが、現在の「にわとり式かんじカード」だ。表側には漢字と読み方、例文とイラストが。裏側には北京語と広東語、ポルトガル語、スぺイン語、タガログ語、英語の6言語に訳した例文が書かれている。さらにこれを専用のペンでなぞると音も出る。表側の日本語だけでなく、各言語の例文も読み上げてくれるものだ。
「例えばスペイン語を母語とする4年生の児童に日本語を教えるなら、スペイン語を介したほうがよく伝わります。このカードでは子どもが持っている母語のリソースを活用して、意味と漢字を結びつけて理解できるようにしました。母語の読み書きが十分でない子どもにとっては、母語のトレーニングにもなるように考えてあります」
丹羽氏は30年以上学校でひらがなや漢字を教えてきた経験から、ある地点でつまずく子どもが、その前のどこの段階が抜けているのかを推測することができた。最初は何とかサバイブするためのやさしい日本語を目指そうかとも考えたが、「入り口はそれでもいいけれど、そのままでは学習言語にならず、進学や就職といった未来への発展が難しいと感じた」という。
「目指すのは、いわば『疑似日本人状態』を作ることです。外国人の多くの子どもたちは、すべての漢字をひとつずつ、系統立てることもなくバラバラに覚えています。でも私たちは、『くさかんむり』や『さんずい』などの部首で意味を想像したり、つくりから予想して知らない漢字を読んだりすることもできます。この漢字カードで字の形と意味を一緒に理解した子どもたちは、その日本人的な漢字の読み解きができるようにもなるのです」
2年生の壁を越えるために作ったものなので、最初は漢字の基礎と仕組みを学ぶ1・2年生向けのカードしか用意していなかった。しかし子どもが成長すると「先生、次の学年のかんじカードはないの?」と問われるようになった。リクエストに応じて追加することを繰り返し、結局6年生向けまでカードをそろえ、現在は中学生向けの冊子も用意している。
教育現場でも地域社会でも…課題は「継承」が途絶えること
今、丹羽氏が課題に感じているのは、さまざまな「継承」が途絶えつつあることだ。
「学校の先生方は本当に忙しくて、『普通』を回すだけで精一杯です。タブレットの導入や、家庭との連絡のデジタル化は、日本語を理解できない人たちにとってますますわからないことが増える要因にもなっています」
団塊世代の退職や若手の人手不足といった問題も相まって、ノウハウの継承もされにくい。国際教室などで外国人の子どもと接する教員と、そうではない教員との間でも、やはり知見の交換は難しい。丹羽氏は現役時代に経験したことを語ってくれた。
小学1年生のある外国人児童が、教室でおもらしをしてしまった。保健室に替えの下着が常備してあるのでそれを使うように担任が話しても、児童は動かない。困った担任は丹羽氏と通訳を呼んだが、母国語で説明しても、子どもは頑なに「いやだ」と言う。この小学校では、保健室の下着を使った場合、新しいものを買って返却する決まりになっていた。それをふと思い出した丹羽氏が「お金はかからないよ」と言ったところ、子どもは「それなら」と下着を替えることを受け入れたのだ。
「担任教員は、子どもが下着を替えようとしないのは日本語が正しく理解できないからだと思っていたようです。あるいは、発達に何かしらの問題がある可能性を考えたかもしれません。しかし実際には、この子どもは保健室の仕組みも理解していたし、家庭の経済事情も考えていた。単なる言葉や発達の問題ではないことがわかりますね。しかし、彼らが何に困っているかを私が想像できるのは、現場を長く見てきた経験があるからに他なりません。こうしたことも、若い先生方に意識的に受け継いでいく必要があるでしょう」
これからも増える「国を越えた転校」を経験する子どもたち
継承は時間軸のつながりだが、もう一つ、地域や人のつながりも重要だと丹羽氏は考えている。
「今は共働き家庭や核家族が増加し、PTAなども以前ほど盛んではありません。昔は昔でもちろん問題はありましたが、こうしたつながりによってさまざまな支援が生まれていたことも事実です。愛知県は早くから多くの外国人を受け入れてきた歴史がありますが、その知見をつないでいくことも、地域の今のつながりを作っていくこともどちらも重要です」
また、外国人の子どもの支援において、大きな役割を果たすのが全国のボランティア団体だ。例えば保護者との連絡には、学校だけでなくボランティア団体が関わっていることも多い。丹羽氏は「日本では、外国人の集住地がスラム化してしまうようなことが抑えられていますが、これも全国のボランティアの努力によるところが大きいと思います」と続ける。
しかし専門家でない善意の市民の活動だけでは、子どもたちの学びに系統性が生まれにくいという課題もある。だからこそ、学校と地域、ボランティアがより密接に連携していく必要があるのだ。
「子どもたちは自分のチョイスではない外国での生活を強いられ、親や大人に振り回されるつらさがある。これは移民や難民でも、恵まれていると思われやすい帰国子女でも同様です。子どもにとっての転校は隣町でも大変なことなのに、彼らは『国を越えた転校』をさせられているのですから」
今後、こうした子どもたちはさらに増えるだろう。丹羽氏は「適切なケアがなければ、彼らの心は壊れかねない」と危機感を語るが、しかし希望もある。小牧市周辺では、丹羽氏らが教えた子どもたちが成長し、ボランティアとして戻ってきてくれるという「継承」も起きているそうだ。
「私たちが教えた人が次の人に教えてくれる、この連鎖をどんどん作っていきたいですね。『どうせ俺たちは』と言うような子どもだって、本当は伸びたい気持ちがあるのです。毎日学校に行くのも、先生が出した宿題をやりたがるのもその表れ。学びたいと思う人がいる以上、私たちはそれに応えていきたいのです」
(文:鈴木絢子、注記のない写真:Kana Design Image / PIXTA)