ICTは「困難さがある子」に寄り添うツール
スクリーンに映し出された曇り空が一転、青空となり大きな虹が浮かび上がった。バックで流れる楽曲「にじ」(作詞/新沢としひこ、作曲/中川ひろたか)の世界観とリンクした映像に、惹きつけられる児童たち。サビのメロディーが展開される中、スクリーンの前に置かれたパネルに雨粒や虹、太陽のモチーフを貼っていった。

ここは、埼玉県立本庄特別支援学校。小学部低学年(1~3年生)の音楽の授業を見学させてもらった。音と映像を効果的に組み合わせた「パネルシアター」を展開したこの授業を担当したのは、同校教諭の関口あさか氏。2020年に「Microsoft Innovative Educator Fellow」となり、さらには日本初の「Canva認定教育アンバサダー」にも選出された、教育界におけるICT活用の先駆者だ。
楽曲にマッチした動画は、グラフィックデザインツール「Canva」で作成したという。児童たちがパネルに貼った手書き風のモチーフも、ペイントアプリ「Procreate」で関口氏が自ら描き作ったものだった。

関口氏は大学時代から、自閉スペクトラム症児のコミュニケーションにおけるテクノロジー活用について学び、研究してきた。その中で、「ICTは障害のある子の困難さに寄り添うツールであり、これから当たり前に使っていくものになるだろう」と思ったという。

2011年から教諭として特別支援教育の現場に入り、重度の知的障害や身体障害、学習障害のある子どもたちの学びにテクノロジーを活用。実践の中で、ICTを使う意義をより実感するようになっていった。
「ICTは困難さがある子どもたちの“耳”や“目”、“声”、そして“書くこと”を代替してくれますし、思考を深め表現の幅も広げてくれます。また、教員が時間をかけずによい教材を作るための助けにもなってくれます」(関口氏)
最新テクノロジーで広がった「子どもたちの可能性」
そんな関口氏が現在勤務する本庄特別支援学校は、知的障害の児童生徒を対象とした特別支援学校だ。小学部・中学部・高等部から成り、各種体験や活動とともに、ICTも学びを支える手段の1つとなっている。
例えば昨年、「ママに伝えたいメッセージをCanvaで表現しよう」というテーマで自立活動の授業を行ったときのこと。知的障害とダウン症があり、発語が不明瞭な小学部3年生の児童が、Canvaでおにぎりのイラストと自分の写真、母親の名前を入れてメッセージを作ったという。

(写真:関口氏提供)
「『お母さんの作るおにぎりが一番好き。作ってほしい』という思いを伝えたかったようです。お母さまも驚いていらっしゃいました。その子はこれを機に、大好きな教員にも手紙を書くようになったんですよ」(関口氏)
関口氏は、AIの活用にも積極的だ。例えば、難易度の高い電車クイズの出題が大好きで、正解してもらえないと怒り出してしまう子への対応に、母親が悩んでいたときのこと。関口氏がAIの活用を提案し、クイズができるようプロンプトを設定したところ、本人はAIと楽しくやり取りをするようになり、母親の負担も軽減されたという。
AIが就労に役立った事例もある。
「ある外国籍の生徒は、現場実習先の掲示物が読めないという悩みがありました。そこで掲示物の画像をAIに読み込ませて翻訳する方法を伝えたところ、必要な情報を得られるようになったのです。また、その子は段取りが苦手だったのですが、タスクをAIに入力して相談することで、1日のスケジュールを組めるように。無事に第1志望に就職し、働き続けています」(関口氏)
ICTを駆使する一方で、AIが何でもできてしまう時代だからこそ、「人間にしかない『やってみたい』『伝えたい』という欲求が、これからの学びの起点になる」と関口氏。五感をフルに使った体験が大人になっても重要になるのではないかと語る。
前述した音楽の授業でも、動画でダンスの振り付けを提示する一方、授業者である関口氏が教室内を軽やかに動き回り、児童1人ひとりに声をかける姿が印象的だった。

「学習の本質や狙いがぶれないよう、テクノロジーが学びを加速する部分を見極めながら活用し、五感を使う体験や学びもあわせて保障していくことが大切だと思います」と関口氏は話す。
ICTの活用が浸透する学校は、何が違う?
同校でICTを使うのは、関口氏だけではない。64歳のベテラン教員が動画編集をこなすなど、年齢や経験を問わずICTが浸透しているようだ。
「例えばCanvaに関しては、3年前から校内研修をやってきたこともあり、『こんなの作ってみたけど、どうかな?』という会話もよく聞かれます。『キャンバってる?』なんて言葉も流行しました」(関口氏)
こうした背景には、自治体の明確な方針もある。埼玉県は以前から教育の情報化を推進しており、第4期埼玉県教育振興基本計画(2024年度~2028年度)では、教育DXを「計画全体に共通する視点」と位置づけている。
こうした中、教員は「Google Workspace for Education」や「Microsoft 365 Education」のほか、「Canva for Education」やAIの使用も可能だ。「他県の先生方に羨ましがられます」と関口氏は言う。
さらに学校現場でのICT活用を支えているのが、管理職の理解だと関口氏は話す。校長の森田暢宏氏はデジタル掲示板アプリ「Padlet」を教職員向けのアンケートで活用するなど、自ら学び、率先して使う姿を示しているという。

埼玉県立本庄特別支援学校教頭
教頭の内田考洋氏も、関口氏が熊谷特別支援学校にいた頃にICT活用を共に推進した「Apple Distinguished Educator」だ。重度重複障害のある児童生徒を対象としたICT活用に取り組み、アメリカのApple公式イベントではその実践が世界中に紹介された。現在は同校で起案決裁の電子化やチャットツールの活用など校務DXを推進している内田氏は、「ICTは道具です。教員の発想力や応用力で児童生徒の支援においても業務効率化においても、やれることはまだまだあるはずだと考えています」と語る。
ICT活用に前向きな同校について関口氏は、「ツールに厳しい制限がなく、先生たちは新しいことにチャレンジしやすい。数年先の公立学校の姿かもしれません」と表現し、こう続ける。
「子どもたちにとっても、学校の中で新しいテクノロジーに触れられる環境は大切だと思うのです。それはICTスキルの習得や学びの可能性を広げるという観点だけでなく、学校の中でテクノロジーの使い方で失敗したり試行錯誤できたりすると、周囲の人に相談しながら問題を解決する力も養われるからです。とくに困難さがある子にとって、支援を求める力は社会に出てから重要となります」(関口氏)
これからの時代、子どもたちの学びの可能性や生きる力を伸ばしていくためには、教育委員会や現場のリーダーたちが、テクノロジーの使用に制限をかけずに教員たちのやりたいことを応援していく土壌が必須であると言えそうだ。
通常学級の教員にも必要な「特別支援教育の視点」
しかし、全国の学校に目を向ければ、十分にICTを活用できていないケースはまだまだ見られる。文科省の「通級による指導実施状況調査結果」によれば、2023年度に通級による指導を受けている児童生徒は20万人を超えて過去最多となっているが、通常の学級で読み書きなどの困難がある子どものICT活用が浸透しているとは言えないのが実情だ。板書の撮影や音声入力などの代替的な学び方に対し、理解不足や抵抗感が根強く残っている現場も少なくない。
文科省による2023年度の別の調査では、採用後10年以内に特別支援教育に関する経験がない教員が8割に上ることが明らかになっており、教員の経験や意識の差も背景にあるとみられる。
こうした中、配慮が必要な子どもたちの学びを支えていくにはどうしたらよいのか。「地域の各学校に特別支援教育の専門性を持った教員が配置され、1人ひとりの“その子らしい学び”に対してICT活用も含めてフレキシブルに対応できる体制が理想」(関口氏)だというが、今できることとして関口氏はこう呼びかける。
「ある通常学級で、全員にタブレット端末を導入したときのこと。最初はみんな興味津々でしたが、やがて多くの児童が『手で書いたほうが速い』と使わなくなり、使い続けたのは、支援が必要な子を批判していた児童だったというエピソードがあります。『ICTを使う子はズルい』と言う子こそ、実は支援を必要としているのです。使ってみて初めて自分に必要かどうかがわかるので、まずは子どもたち全員が使えるようにするところから始めていただきたいです。診断名ではなく、困難さに注目してほしいと思います。こうした特別支援教育の視点を通常学級の先生方が学ぶことは、学級経営の安定にもつながるはずです」(関口氏)
また関口氏は、教育現場にICT活用が十分に浸透していない背景として、テクノロジーの発展に研修が追い付いていない現状も指摘する。教員は忙しく、学び直しの仕組みも整っていない。そのため、「明日からすぐ実践できる」ことを重視した学びの場が必要だという。実際、自治体などの依頼で管理職や教員向けにICTツール講座を担当する関口氏は、次のような点を心がけている。
「現場の先生方からは、どうやって使ったらいいかわからないというご相談が多いです。そのため、アニメーションを実際にお見せしたり、ワークショップを取り入れたりして、翌日からすぐ実践できるような研修を意識しています。他校の実践をご存じない方も多いようなので、事例紹介も重要だと感じています」(関口氏)
ICTは困難さがある子どもたちの学びを支え、1人ひとりの可能性を伸ばす道具となる。学校現場には、学校種や立場を超えて、テクノロジーの活用も含めた支援の視点やスキルを共有していくことが求められている。

埼玉県立本庄特別支援学校教諭
日本初の「Canva認定教育アンバサダー」。2015年に「Microsoft認定教育イノベーター」となり、2020年に日本初の「Microsoft Innovative Educator Fellow」の資格を取得。現役教員や教育関係者を中心とした教育コミュニティ「WIEE Talks@Admin.(旧・MIEE Talks@Admin.)」を運営。イラストレーターとして教育サイトや教育書籍などにイラストを提供するほか、教材のクリエーターとしても活躍し、「ねるねるねるねの絵本」や、学研やブラザーなどと幼児・特別支援向けの教材プリントなどを作成。教員向けの講演や研修、教育イベントへの登壇、企業との連携も多数。主な書籍に『いちばんやさしいCanva教育版の教本』(インプレス)
(文:中村藍、編集部 佐藤ちひろ、注記のない写真:編集部撮影)