古川:そのとおりです。本来は自分たち自身で目標を設定するシステムですし、慎重な検証と「なるべく小さな」修正を繰り返していくシステムですから。
あともう1つ問題だと思うのは、どんな批判があっても一切耳を貸さないという、ごり押しの態度を取り続けられると、批判するほうも「もう何を言っても無駄だ」という学習性無力感のようなものが募ってきて、批判する気もなくなってくるんですよね。
中野:そういう戦略ですから。
合意形成を急ぎすぎると引き返せなくなる
古川:そうですよね。私も些細ですが経験があります。大学入試センターで問題作成委員をしていた頃、突然、旧センター試験の作問経験者は、新しい大学入学共通テストの作問には一切関与するなと言われて、委員の約半数が隔離されて別室に閉じ込められるという、とんでもないことがありました。センターは入試問題の形式を「抜本的に改革」することがミッション (目標) でしたから、旧い問題作成の方法を知っている委員たちは「抵抗勢力」とみなされたわけです。
しかし、そんな体制ではまともな入試問題が作れません。結局、不利益を被るのは受験生たちですから、委員たちが、頼むから撤回してほしい、どうしてそういうやり方をするのか、合理的な理由を説明してほしいと再三申し入れたのですが、センターの理事や文科省の官僚は「いつどの会議でこう決まりました」という経緯しか説明しない。聞いているのは「経緯」ではなくて「理由」だと、何度言ってもまったく話が通じなくて、「ああ、こうしてわざと日本語が通じないふりをして、相手を諦めさせるのが戦略なのか」と痛感しましたね。
佐藤:大学の置かれた状況と、国家の置かれた状況は「内部の人間の利益より、どこにあるかもわからない外部の利益が優先される」点で相似形を作っているわけですね。いい加減、内部が反乱を起こしそうなところですが、それも起きないのが不思議なところです。
中野:私も佐藤さんのおっしゃった問題は非常に重大なことだと思うんですが、私は逆の説を考えています。つまり、合意形成をむしろ重視し、逆に合意形成を急ぎすぎた結果、こうなったという可能性です。
その理由はいくつかあります。一つは、マイナカードでも東京オリンピックでも消費税でもインボイスでも、弊害が明らかになったとしても、一度は合意があった。だから変えられないんですよ。つまり、合意があった上でやめたらどうなるか。今度はブレた、ブレたって言ってみんなで叩くんじゃないんですかね。一回決めたことをやり遂げないことは、政治的敗北になっちゃっていて、それが嫌だから、まさに佐藤さんがおっしゃるように、一千万人に反対されてもいくぞ、ということになる。だけど、そういう政治の強引なリーダーシップを求めているのも国民なのではないか。