魂売った?ホロコーストの裏に「極限の駆け引き」 ユダヤ人リーダーが移送責任者と結んだ取引の成否

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

アウシュヴィッツでユダヤ人の絶滅が進行しているのをカストナーは知っていた。アウシュヴィッツから1944年4月に脱出したスロヴァキア出身の二人のユダヤ人からの報告を見ていたからである。

また、絶滅収容所以外にも、特殊部隊(アインザッツ・グルッペ)により、東方、ウクライナでユダヤ人が集団銃殺されている事実を聞き知った、とカストナーの同僚で、同じくユダヤ人救済擁護委員会の中心人物だったヨエル・ブラントがアイヒマン裁判で証言している。

ブダペストのユダヤ人社会の中心にいた人々がこうした報告を受けていたのは間違いないだろう。

しかしユダヤ人殺戮の事実を人々に伝えたとき、人々がそれを事実として受け取るかどうかは、また別である。アイヒマン裁判の裁判記録を読んでいると、絶滅など自分の目で見るまで信じられなかったとホロコーストの生き残りが繰り返し証言している。

当然だと思う。文明化された現代ヨーロッパの真ん中で、1つの「民族」を絶滅させる計画が進行しているなど、誰が信じられただろう。とんでもないデマ、今風に言えばフェイク・ニュースと受け止めた可能性が高い。

ナチスは、東方(ロシア)での強制労働につくために輸送するとユダヤ人に説明していた。この説明を多くのユダヤ人が死の直前まで信じていたのである。

契約以外の形で救出できたのか

さて、それでは、カストナーのとった「契約」以外のいかなる形で、ハンガリーユダヤ人を救出できたろうか。

カストナーのアイヒマンとの「契約」が小悪の選択であったかどうか、その正否を判断するためには、すべてがわかっている現在からの「後知恵」ではなく、当時のブダペストの不安と不確実さの状況下にあったユダヤ人の視点に戻って推移を追う必要があるだろう。

ユダヤ人救済擁護委員会は、すでに1944年以前から偽造パスポートなどを使って、ドイツ占領下の地域から、ユダヤ人がハンガリーへと逃亡する手助けをしていたらしい。当初ハンガリーはドイツの同盟国であったから、ナチス・ドイツも勝手にハンガリー国内のユダヤ人に手を出すわけにはいかなかった。

事態が変わるのは、ハンガリーがドイツから離れるのを察知して、ドイツがハンガリーを占領した1944年3月である。ここからハンガリーユダヤ人の絶滅が計画され、実行に移される。またこの頃、既にドイツの敗戦の色は濃くなっていた。こうした中、交渉も始まる。

次ページアイヒマンが持ちかけた提案
関連記事
トピックボードAD
キャリア・教育の人気記事