江戸幕府が唯一公認した「人気の賭け事」その正体 碁や将棋、双六といった勝負事での賭けは厳禁

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「江戸の三富」と称された感応寺・湯島天神・目黒不動が発行した富札は1枚あたり金2朱というから、1両の8分の1にあたる。現代の貨幣相場に換算すると、1万円以上となるため、庶民にはかなりの高額だった。

他の寺社の場合はその半額にあたる金1朱、さらに安い銀2匁5分という事例が多かった。5000~6000円ぐらいだろう。現在、宝くじは1枚300円が相場であるから、いずれにせよ高額だ。

江戸っ子にしてみれば、奮発して1枚買うのがせいぜいである。そのため、数人から数十人で共同購入する事例が多かった。この購入方式は「割札」と呼ばれた。発行枚数は富札の価格と連動しており、富札が高額ならば枚数は3000~5000枚、低額ならば数万枚だった。

幕府の責任逃れを理由に許されていた「富突」

幕府公認の興行であるため、主催する寺社の名前、富突を行う場所や日時、富札の販売期間などの情報が、町奉行所から江戸の町に向けて布告されることになっていた。この御免富の制度がスタートしたのは享保15年(1730)のことである。

なぜ幕府は、こんな射幸心をあおる興行を認めたのか。それは、寺社造営費用を賄うためである。幕府の財政に余裕があれば堂社の整備費を補助できたかもしれないが、折しも将軍吉宗による享保改革の真っ只中だった。

幕府の財政難を背景に、支出を大幅に切り詰める倹約政策が断行中であった。よって、幕府は寺社に富突を許可して整備費を集めさせることで、みずからはその負担から逃れようとしたのである。御免富の制度とは、みずからの懐を痛めないで済む巧妙な寺社助成策に他ならなかった。

富札を大量販売して短期間に大金を集められる御免富の興行は、寺社にとってたいへん魅力的だった。だが、これに便乗する形で「影富」が広まってしまう。影富とは、感応寺・湯島天神・目黒不動の一の富の当たり番号を予想した賭け事である。

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