江戸幕府が唯一公認した「人気の賭け事」その正体 碁や将棋、双六といった勝負事での賭けは厳禁

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富突を描いた『萬々両札のつき留』(ボストン美術館所蔵
賭け事が盛んだった江戸時代において、幕府が公認していたのは「富突」でした。富突とはどんなものなのか。そしてなぜ富突だけを許していたのか。その裏側について歴史家の安藤優一郎氏が解説します。
※本稿は安藤氏の新著『江戸時代はアンダーグラウンド』より、一部抜粋・再構成のうえお届けします。

総じて賭け事がさかんだった江戸時代

江戸時代、総じて賭け事は盛んであり、武士の間でも碁や将棋、双六といった勝負事での賭けが珍しくなかった。当然、幕府や藩は、碁や将棋などでの賭けを厳禁している。刃傷沙汰のようなトラブルの原因となるとして、碁や将棋を指すこと自体、禁止する事例さえみられた。

しかし、幕府や藩は喧嘩両成敗の方針のもと、武士どうしのトラブルを抑え込むことに躍起であったものの、賭け事の禁令は有名無実化していた。碁や将棋、双六での賭けは繰り返し禁じられたものの、禁令に効果はなかった。

もっとも、それは賭博犯を処罰しなかったことを、意味したわけではない。幕府や藩は、摘発した者を厳罰に処している。ケースバイケースではあったが、遠島や追放などの重罪が科される事例は多かった。死罪という極刑も珍しくない(江戸初期にその傾向が強かった)。

しかしそれでも、賭博を根絶することはできなかった。庶民にとっても事情は同じで賭け事は横行しており、根治することは事実上、不可能だった。庶民の身近な賭け事は賽子やかるたを使ったものだが、現代の宝くじにあたる富突も外せない。

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