『不適切にも』TVにとっての"コンプラ"現在地 クライマックスをミュージカルにするのはなぜ
宮藤官九郎の脚本による『不適切にもほどがある!』(TBSテレビ系)がさまざまな反響を呼んでいる。
なかでも話題なのは、このご時世に「コンプラ(コンプライアンス)」をまるで無視したかのようなセリフや行動のオンパレードという点だ。
いまこうしたドラマをつくる意図はなんなのか、そしてテレビにとってのコンプラはどうあるべきなのかを考えてみたい。
昭和と令和を行き来するドラマ
『不適切にもほどがある!』の物語は昭和61年、いまから約40年前の1986年から始まる。
主人公は、阿部サダヲ演じる中学の体育教師・小川市郎。野球部の顧問もしている。妻を亡くし、現在は高校生の娘・純子(河合優実)と2人暮らしだ。
煙草は吸いまくる、部員たちには罰としてケツバット。下ネタもところかまわず。いまの時代から見れば、“歩くハラスメント”といったところだ。
ただ、当時は小川だけがそうだったわけではなく、年齢や性別に関係なく、少なからぬ人々が同じ価値観で生きていた。
するとそこに、男子生徒・向坂キヨシ(坂元愛登)の母親が小川の言動に腹を立て、学校に猛然と抗議をしにやってくる。実は彼女は、2024年の令和からタイムスリップしてきたフェミニストの社会学者・向坂サカエ(吉田羊)だった。
コンプラに人一倍敏感な彼女は、小川を激しく糾弾する。そして何気なく乗った路線バスで小川も令和にタイムスリップ。昭和と行き来しながら、令和のコンプラと闘っていくことになる。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら