『不適切にも』TVにとっての"コンプラ"現在地 クライマックスをミュージカルにするのはなぜ

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そこでの、「タトゥーはどこまで許されるのか?」を検証する企画。ラッパーなどミュージシャンは、タトゥーを入れていてもそのままテレビに映されることが多い。

だがお笑い芸人は、そうはいかない。ではタトゥーを入れているラッパーがお笑いライブでネタを披露しているところを映すのはどうなのか?

テレビ局の担当部署に判断を委ねたところ、ネタ作りをしている場面などの映像は問題なかったが、お笑いライブのステージに立つ瞬間にVTR映像が強制終了になった。理由は「前例がない」ということだった。

タトゥーをどこまでテレビに出してよいのか、というのは法律で決まっているわけではなく社会の価値観によるもの。

だがこの企画からわかるように、そのルールも一律なわけではない。音楽のステージの場面では映っていいが、お笑いのステージではダメとされる。

コンプラを考え直す契機に

「前例がない」というのはひとつの理由ではあるが、裏返せば明確な基準がないということでもある。

要するに、コンプラには曖昧な部分がある。ではそのあたりの線引きは、誰がどのように決めるのか。「前例がない」として、判断を先送りするだけでいいのか。

コンプラということが盛んに言われ始めて、もうかなりの時間が経つ。そのなかで、「コンプラ」という言葉が独り歩きしているように感じることも少なくない。

いま、コンプラをなんとなく杓子定規に適用するのではなく、問い直すべきところは問い直す段階に来ているのかもしれない。

『不適切にもほどがある!』は、ドラマとしての面白さを越えてそんなことに思いを至らせてくれるドラマである。

太田 省一 社会学者、文筆家

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おおた しょういち / Shoichi Ota

東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得満期退学。テレビと戦後日本社会の関係が研究および著述のメインテーマ。現在は社会学およびメディア論の視点からテレビ番組の歴史、お笑い、アイドル、音楽番組、ドラマなどについて執筆活動を続ける。

著書に『刑事ドラマ名作講義』(星海社新書)、『「笑っていいとも!」とその時代』(集英社新書)、『攻めてるテレ東、愛されるテレ東』(東京大学出版会)、『水谷豊論』『平成テレビジョン・スタディーズ』(いずれも青土社)、『テレビ社会ニッポン』(せりか書房)、『中居正広という生き方』『木村拓哉という生き方』(いずれも青弓社)、『紅白歌合戦と日本人』(筑摩書房)など。

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