追いやられて会社脱出、笠井アナどん底で見た景色 最後「徹子の部屋だけ出たい」にマネージャーは…
フジテレビで数々のワイドショーや情報番組を担当
子どもの頃から人前に出ることが好きだった。小学生の頃は、学級委員や児童会長を、中学生では生徒会長に自ら立候補し、つねに先頭に立って学校生活を盛り上げた。
とくに、「話すこと」には興味があった。きっかけは小学4年生のとき。近所の子ども祭りで司会をした際、周りから上手だと褒められたことは今でも覚えている。また中学時代は、生徒会長として全校生徒の前で挨拶をすると、校舎に響く自分の声がうれしかった。
高校生になると、すでに「笠井の話は面白い」と評判を呼び、文化祭では笠井さんの話を聞きたい生徒が殺到。教室に入りきらないほどの人気だったという。
その後、1浪して早稲田大学に入学。放送局でアルバイトをしながら、将来の就職先はテレビ局を考えた。そして、超難関の倍率をくぐり抜け、晴れてフジテレビへの就職が決定。1987年4月、フジテレビアナウンサーとして華やかにスタートをきった。時代はバブル絶頂期だった。
笠井さんはフジテレビに入社以降、数々のワイドショーや情報番組を担当した。その中でも笠井さんの代表番組の1つ、『情報プレゼンター とくダネ!』を任されたのは35歳のとき。
メインキャスターの小倉智昭さんと共に番組をスタートし、その後20年にも及ぶ長寿番組となった。番組は長きにわたり視聴率1位をキープ。笠井さんが歯切れよく話を展開する姿は、今でもたくさんの読者の脳裏に残っているだろう。
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