追いやられて会社脱出、笠井アナどん底で見た景色 最後「徹子の部屋だけ出たい」にマネージャーは…

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『徹子の部屋』収録当日。入院3日前。

本来、収録が終わって3日後に世間に公表する予定だったが。妻、ますみさんのすすめもあって黒柳徹子さんの耳にその話は伝えられた。明るく穏やかに話を進めてくれた。

さらに収録には妻と息子も同席した。「妻は僕が病気から必ず復帰するとは言っていたけど、それでもね。家族が見学にくるなんて初めてです。まるで発表会みたいですよ。でも、来たいって言われたときに、ちょっと嫌だったけど、見てほしい気持ちもありました。自分の最後の晴れ姿だと思ったんです」。

なんでそんなに働くの?

ところで、がんになったことで、自分を責めるような気持ちはあったのだろか。

「それは随分後になってからです。告知されたときは被害者意識しかなくて、自分を責めるなんて微塵も思わない。俺は一生懸命生きてきた。粉骨砕身働いてきたのも、フリーになったのも、すべて自分のスキルを上げるため。それがなんら悪いとは思ってないし、自分に自信があるからここまでやってきた。

ただ、家族には評判が悪かった。なんでそんなに働くの?って。夜中の3時に迎えの車がきて、帰宅するのは夜の9時10時。普通は昼に帰ってくるんじゃないのと。

でも、俺が間違っていた、なんて思うのは告知されてもっと後。抗がん剤を打って、夜眠れなくなっているときにようやく考えることです」

今でこそ、働きすぎている人を見ると「そんな無理をすると、がんになるよ」と声をかける。家族のために休むことを勧める。しかし、いわゆる“昭和人間”は、働きすぎていることが自慢だったりする。笠井さん自身、そこで自己評価していた部分もあった。思い当たる人も少なくないのではないだろうか。

(この記事の後編:「フリー転身2カ月でがんに…笠井アナが見た世界」

松永 怜 ライター

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まつなが れい / Rei Matsunaga

東京生まれ。千葉育ち。理学療法士として医療現場で10数年以上働いたのち、フリーライターとして活動。WEBメディアを中心に、医療、ライフスタイル、恋愛婚活、エンタメ記事を執筆。 好きな場所は甲子園と神宮球場。地方大会から高校野球の応援に行くことも。そのほかライブ鑑賞、アクリル画を描くことが好き。

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