追いやられて会社脱出、笠井アナどん底で見た景色 最後「徹子の部屋だけ出たい」にマネージャーは…
ただ、笠井さんの場合は血液のがんだったため、よくも悪くも選択肢は一択。まずは抗がん剤治療。
治療に関しては迷いようがなかったが、やはり知識がないがゆえ、いろいろうろたえた。入院前にはネットで介護ベッドをあわてて購入した。役所で手続きをすれば、介護ベッドをレンタルできることは後から知った。がんは備えておいたほうがいいというが、当事者にならないとわからないこともある。その立場になって初めて痛感した。
ボロボロの体で仕事をする中、入院を促される
悪性リンパ腫という診断の確定とともに、4人目の医師、主治医になった医師からもすぐに入院を促された。
すでに体はボロボロだった。しかし、がんとは関係なく仕事が入っていた。
とくに『徹子の部屋』には絶対出たかった。収録は、がんが確定した日から2週間後。主治医に少し入院を延ばせないか相談するも、首を縦に振ろうとしない。
「何かあったときは、先生、病院のせいにはしないから。必要なら一筆書きます」
そこまで伝えると、2週間ならそこまで大きく状態は変わらないだろう、ただし、急変したときはすぐに入院することと約束して許可を得た。
「仮に病気が治ったとしても、もうテレビに出られないだろうと思ったんです。それなら最後に爪痕を残したい。気づいたら、笠井アナ消えたね……と言われるのは、自分の人生プランとしてありえないと思ったんです」
当初、仕事は『徹子の部屋』だけに絞ろうと思った。痛みが限界に達しており、それ以外のすべての仕事をキャンセルするつもりだった。
しかし笠井さんの担当、加藤マネージャーから指摘が入る。笠井さんが復帰した後、あのとき笠井さんは『徹子の部屋』には出たけど、僕たちの番組はキャンセルした。軽く見ていたんだと思われて、一気に信用を無くすと。
「今すぐ入院するか。全部の仕事をやって、『徹子の部屋』にも出るのか、どちらかにしてください」
そうか。マネージャーは、僕が戻ってくると思っているのか。結局、最後の2週間もすべての番組に予定どおり出演した。1回につき数時間しか持たない痛み止めのロキソニンを飲むタイミングに気を配りつつの、大変な苦しみの2週間になった。
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