追いやられて会社脱出、笠井アナどん底で見た景色 最後「徹子の部屋だけ出たい」にマネージャーは…

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がんを告知されたとき──。「なんで俺が。なんでこのタイミングで俺ががんにならなきゃいけないんだ」「がんじゃないって言ったじゃないか──」。

怒りと悔しさ、さらに悲しみ。被害者意識しかなかったという。

もちろん4カ月間、検査が続く中で覚悟はあった。しかし希望もあった。「やっぱりがんじゃなかったですよ」。その一連の言葉に望みを託すが、無残に散った。

「清水の舞台から飛び降りたら、地面が無かった。さらに落ちたんです」

晴天の霹靂ではなく、曇天の霹靂だった。

「ごめん。がんだった」

がんの告知を受けた日は、ちょうど友人の八嶋智人さんの舞台を観に行く予定だった。そこで、どこか慰めてほしい気持ちもあった。しかし、舞台が終わって楽屋に行って、皆のうれしそうな顔を見ていたら、とても自分はがんだとは言えなかったという。

「がんって、人に言えないんです。周りに迷惑をかける。負担をかける。そして排除される。アンコンシャス・バイアスという無意識の偏見です。がんだからこっちでやっておくねとか、周囲の優しさだけど、社会から排除されることもあるんです」

そのまま帰宅して妻に告げた。「ごめん。がんだった」。涙を抑えられなかった。しかし妻は話を聞きつつも、すぐにセカンドオピニオンを勧めたという。

後日、医師にその旨を伝えると、医師も賛同した。「笠井さんのがんは非常に珍しいタイプです。すぐにでも診てもらってください」。

しかし、4つ目の病院で受診するも結果は同じ「悪性リンパ腫」。

セカンドオピニオンでも「悪性リンパ腫」が確定。ただ、現実は悲しみに浸る間もなく、すぐにいろいろな選択を迫られた。

どの病院で、どの医師に、どんな治療法を受けるのか。手術にするのか、放射線治療にするのか、抗がん剤治療を受けるのか。いろいろな方法がある中で「どれにしますか?」とすぐに決断しなければならない。

身内ががんになって、奔走した経験がある人は、多少はわかるかもしれない。しかし、そういったことにまったく経験のない初心者が、すぐに大事な選択を迫られる。

がんは最初が肝心と聞く。後になって、あの治療にしておけばよかった……そんな声もよく聞くかもしれない。

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