「災害医療チーム」を通して見えた能登地震の課題 DMAT派遣数は東日本大震災の3倍の1000隊超え

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■1月7日(日)午前7時

つくばセントラル病院のDMAT隊は、穴水町の公立穴水総合病院を支援するため、宿泊先を出発。到着したのは午前10時前だった。同院は断水していたものの、電気は通っていた。携帯電話は使用可能で、固定電話は不通。これが、その後の混乱にもつながった。

同病院の中橋毅副院長から、「病院の入院機能を維持するため、一部の入院患者を金沢市内の病院に転院させたい」との説明を受ける。

■1月7日(日)午後1時

転院要請の1人目は、50代男性だ。金沢市内在住で、地震で被災した親戚宅の崩れた屋根瓦を修理しようとしたところ、屋根から転落し、肋骨と腰椎を骨折した。

伊藤氏が運転する病院救急車(消防署ではなく病院に待機する救急車)は、午後2時過ぎに穴水総合病院を出発。距離はおよそ90km。平時は1時間半程度で搬送できるところを、一部通行止めや地震による道路のヒビや亀裂などにより、3時間超を要し、到着したのは午後5時半前だった。

「ほかのDMAT隊の車は道路の段差でパンクするケースもあったため、運転には細心の注意を払った。運転席から見た路面はそれほど損傷していないのに、大きな穴にタイヤが突っ込んだようにバウンドすることもあって、ヒヤッとした」(伊藤氏)

患者搬送中の道路(写真:本名看護師撮影/つくばセントラルDMAT提供)

印象に残った患者の言葉

搬送中、患者や家族との会話のなかで、伊藤氏らが茨城県から来たことが話題に上った。金沢市への長距離の搬送と、茨城県からはるばる来たことに対して、「ありがとうございます」と男性患者は頭を下げた。

伊藤氏は患者への言葉掛けを、被災して傷心しているだろうとの配慮から、遠慮していた。そのようななかで、患者や家族から「震災前の能登の風景はとてもきれいだった。復興したらプライベートで来てほしい」と、声を掛けられたという。搬送中の伊藤氏が一番に印象に残っている言葉だった。

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