「タイパ重視」を習慣にするZ世代の超意外な盲点 30代上場企業役員があえて小説を書く理由

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問題は、期待値が高いからといって5分や10分の時間消費を繰り返しても、人生を変えるほどの感動の絶対値には辿り着けないことである。更に進んで、割り算の分母を人生単位で考えてみよう。5分のショート動画を延々見続ける人生と、本数が百分の一でも映画を見ている人生、どちらが幸せだろうか。言い換えれば、人生単位のタイム・パフォーマンスは、どちらが上だろうか。

ここで、映画を見る人生のほうが幸せだ、というつもりはない。どちらを好むかは価値観による。だからこれは、あくまで私個人の意見なのだが、私は目の前の快楽を貪って生きているだけでは辿り着けない場所があると思う。すなわち、一度我慢してしゃがまないと手に入れられないものが、世の中にはたくさんあると考えている。むしろ、本当に大切なものほどたゆまぬ努力を続けなければ手に入れられない、という方が世の中の実情を正しく表しているだろう。

成功体験がないことをやらないのは自然の反応

ところで、なぜZ世代はタイパにこだわるのだろうか。色々な研究はあると思うが、私は、彼らの生きる現代が「時間の投資をした後でのみ得られる大きなカタルシス」の成功体験を剥奪されてしまった時代だから、と考えている。数分の曲を聞くときですらイントロを飛ばす彼らは、単にインスタントなコンテンツ以外を知らずに育ってきたのではないだろうか。

私が中学生だったころ、片道1時間半の電車通学をしていたが、データ通信料は今よりも高額で、30分の動画に50万円かかる時代であった。当然、現代のように携帯で遊ぶわけにはいかず、本を読むか寝ているかであった。

だが、こうした事情が逆によかったのだ。スマホを際限なくいじってしまう人だって、本しかなければ本を読む。場合によっては一度読んだ本を何周も読み返し、作品理解を深め、そこからカタルシスを感じるという成功体験を得ることができる。

今はどうだ。目の前に5分どころか5秒で自分を喜ばせてくれるスマホがあるのに、わざわざ本を手に取る子供がいるだろうか? 結果として、小説や映画の素晴らしさに触れる機会を失い、映画を『観る』代わりに話題作のまとめ動画を見るのが当然になってしまう。短期的な最適行動によって、長期的な最適行動を探る機会を失ってしまうのである。

深い感動には、作品への没入、言い換えれば登場人物や状況の理解、感情移入など、クライマックスに向けて助走をつけることが必要である。インスタントなコンテンツがインスタントな快楽で終わってしまいがちなのは、これがないことが原因であろう。

色々と偉そうに書いてきたが、私自身もまだ30代前半で、Z世代と10歳も離れていない人間だ。彼らの気持ちや価値観もよくわかるし、日常的に同じツールに触れてもいる。彼らとの違いは、運良く少しだけ不便な時代に生まれ、読書や観劇の喜びを知り得たというだけだ。

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