「正解主義」と「エセ平等」の呪縛から脱却せよ 藤原和博・東京学芸大学客員教授
--世界で通用する人材をつくるために、教育をどう変えるべきでしょうか。
まずは日本全体を覆っている「正解主義」の呪縛を解かないことには話にならない。
日本の高度成長期には、正解を見つけるのは簡単だった。だからこそ、物事を正確に早くこなす「情報処理力」が尊ばれたし、戦後の教育も社会のニーズにぴったり合っていた。
でも日本は、1998年頃から成熟社会に突入している。社会では核家族化や高齢化が進み、経済でも、自動車の販売やスーパーの消費が下がり始めた。社会全体のエネルギーレベルが下がると同時に、物事が複雑化し変化が激しくなっている。
成熟社会で求められるのは、「情報編集力」
成長社会は「みんな一緒」の社会であったのに対して、成熟社会では「一人ひとりばらばら」になっていく。正解が一つということはなくなってしまう。
成熟社会で求められるのは、「情報編集力」。一言でいえば、「つなげる力」と「つながる力」。自分の知識、経験、技術をつなげるとともに、他人の脳ともつながって知恵を借りる。僕は「ネットワーク脳」と言っている。
これが面白い形で現れたのが、京大入試のカンニング事件。携帯電話で答えを調べるのは、入試というゲームの中ではルール違反だが、ビジネスでは、いろんなネットワークから答えを引き寄せてくる能力が重要になる。
時代の求める能力が、「情報編集力」に移っているのに、日本はあいかわらず、情報処理型の教育を行っている。中学・高校・大学を通じて、「次の4つの中から正しいと思うものを選びなさい」という4択問題ばかり。こうした問題を何百問、何千問解いても、情報編集力はつかない。