「正解主義」と「エセ平等」の呪縛から脱却せよ 藤原和博・東京学芸大学客員教授
これだけメディアが発達してくると、ある分野においては先生より詳しい子供がでてくる。例えば将棋に関しては先生より強いとか、水の知識では誰にも負けないとか。それなのに、皆を平均的に育てようとして、”普通”を強要するのは、拷問みたいなもの。「エセ平等」から脱して、1500万人の子供がいれば、1500万通りの天才になってもらうようにすべき。
国際社会でも、どの国の人にとっても正解ということはなくなってきている。交渉で目指すのはあくまで「納得解」。中国と韓国と日本でどのように国境を納得させるのかという話。その「納得解」をたぐりよせるには、「情報編集力」が欠かせない。
グローバルエリートを目指すなら、英語よりもまず先に、「情報編集力」を鍛えるべきだと思う。正解主義の呪縛をとかないと、グローバルエリートの「グ」のところでもう躓いてしまうし、「エリート」の「エ」にもなれない。
大学は100%の授業を情報編集型に
--具体的に、学校のカリキュラムをどう変えるべきでしょうか。
小学生の間は詰め込み中心で記憶力を鍛える形でいい。百ます計算も音読暗唱も100%賛成。小学校のうちは頭の回転、速さを競えばいい。
しかし、中学校からは頭の柔らかさを育てる必要がある。ディベート、ロールプレイ、ブレインストーミング、プレゼンなどを繰り返して、自分の意見をきっちり表現するための教育をしなければならない。小学校で1、2割、中学校で2、3割、高校では5割を、情報編集力を鍛える教育に当てるべき。
授業は、「思考力・判断力・表現力」を高められるような内容にする。たとえば、生徒に「原子力を推進すべきか?自然エネルギーを推進すべきか?」をテーマにディスカッションさせれば、互いに価値の葛藤が起きる。そうした経験を通じて、自分の意見をきっちりと表現し、人を説得していく能力が磨かれていく。