家族ごはん卒業50代で直面"ひとりごはん"の葛藤 料理家も感じた「難しさ」、たくさんの後悔も

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たとえ見よう見まねで挑戦してみても、結局くたびれて終わりです。

タケノコのアク抜きに疲れカップ麺をすすり、クリの渋皮をむいて荒れた指先に気持ちが萎え、漬けた梅干しも梅酒も結局消費できません。

大量にゆでたあずきは食べきれずに、もう2年ごしで冷凍庫の奥に眠っています。

もったいないし食べきれないからと、自分が作ったものをよそ様におすそ分けするのも考えものだと思うようになりました。

実際に友達から「いつも煮物を持ってきてくれる知り合いがいるけど、実は食べきれなくて断れずに困っている」と聞いて、ハッとしたのです。

そうです。ひとりが食べる分量なんてたかが知れているのです。

残念ながら、「作った量と実際に食べられる量」「作ってみたい気持ちと実際の食欲」は比例しません。

同じものを延々食べ続けることは食の自由さを奪い、冷凍庫の中の残り物を見てはため息をもらすことになります。

そこでたくさんの後悔を経て、「手仕事は気が向いたときだけ・自分がすぐに食べきれる分だけ」と決めました。

味噌に関しては、よほど気が向いたときだけ手作りしますが、基本「ちょっといい味噌」を色々と買って楽しんでいます。

おしゃれ気分にそそのかされて作るジャムも、そもそも基本的に私はパン食ではないので、作った後でほとんど食べないことに気づきます。

限りある時間と衰えていく消化能力を考えたら、食べきれない食材の保存や消費に追われるのは本当にバカげていると気づきました。

作りすぎない、ため込みすぎない。

美味しいものを、食べたいときに、ちょうど良い量だけいただく。それこそが大人世代の最高の贅沢だと思うのです。

そして年を重ねるにつけ、行動パターンも変わりました。

若いころは「面倒だから外食で済ませよう」が、最近は「外食に出かけるのが面倒」になりました。外食好きの私が今ではほとんど家で食べるようになった理由は、「面倒くさい」気持ちと「外食のメニューにちょうどいいものがない」からです。

その日の様子で「ちょうどよく」

このように、「家で作る自分のためのごはん」が自分にとって大切なことになりましたが、同時に「面倒に思うこと」は料理に限らず年々驚くほど増えてきました。

50歳からのひとりごはん 少量・手抜き料理で生きていく!
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人間関係や感情の起伏、日常の身支度から家事全般まで。中でも生きていくには避けられない「料理」は、「面倒くさい」が満載です。

しかし幸いにも、私たちには長年それなりに料理をしてきた経験とスキルがあります。細かいことをいちいち説明されなくても、なんとなく作れる経験値があります。

食べやすい大きさとは何センチ四方なのか、塩少々とはどのくらいなのか……。そういうことは示されなくてもだいたいわかります。素晴らしき「適当力」がついています。

「私なんて我流で……」と皆さん謙遜なさいますが、自分ひとりで作る料理は全人類もれなく我流です。そもそも、料理は我流&マンネリでよくて、レパートリーすらそれほど必要ではありません。

一度に食べられる食事の量も減ってくるので、その日の腹具合、そして気分と相談して「ちょうどよく」作って食べましょう。

本多 理恵子 料理家

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ほんだ りえこ / Rieko Honda

2007年より鎌倉の自宅カフェにて、手ぶらで参加できる料理教室「お気軽料理サロン」を主宰。その日にすぐ作りたくなるような簡単な家庭料理が好評で、参加人数はのべ1万3000人を超える(2023年11月現在)。野菜ソムリエ。オリーブオイルソムリエ。初の著書『料理が苦痛だ』(自由国民社)で「料理レシピ本大賞 in Japan 2019」エッセイ賞受賞。著書に『ごはん作りの絶望に寄り添うレシピ』(エムディエヌコーポレーション)、『50歳からのひとりごはん 少量・手抜き料理で生きていく! 』(集英社)など。

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