「中学3年生のときに、職員室の担任に掃除が終わったという報告に行ったところ、『日本育英会(現・日本学生支援機構)』の資料を見つけたんです。『育英会』というぐらいだから仙台育英か奈良育英など、どこかの高校のパンフレットなのかと思いながら盗み読みしたところ、この世に奨学金という進学のために、お金を貸してもらえる制度があることを知りました」
しかし、この時期、長内さんの父親はまともに働いてないのにもかかわらず、車を買い替えることを強硬に主張しては、家庭内で暴力を振るうことがあった。
理由は車のローンを組むための条件として、地元の商工会(保証人)に確定申告を義務付けられ、税金を支払わなくてはならないから……。つまり、納税の怒りの矛先が家族に向いていたわけである。
「それでも、父は大学を卒業していたため、心の中では僕に大学まで進んでほしいと思っていたはずですが、とにかく金がない。しかも、父は『自分が借金をするのは平気』だけど、『家族がお金を借りる』ことは嫌がっていたんです。
ただ、僕は奨学金がなければ、高校にも進めないため、慎重に父に『奨学金は成績優秀者だけが借りられるお金であって、貧しいから借りるわけはない』と言って借りることを納得させました」
生きているだけで赤字
家庭内の問題は解決していないが、ひとまず高校に進学する算段がついた長内さん。とはいえ、「奨学金があるとはいえ、世帯年収180万円で高校に行けるのだろうか?」と思ったのは読者諸氏だけではない。
「母親から確定申告書を見せてもらったのですが、よくよく調べたら180万円は『年収』ではなく『年商』なんですよね。だから、家族5人分の基礎控除を加味したら、マイナス10万円とかになるんですよ……。それに、なぜか『保険料』の欄が空白。うちの家は生きているだけで赤字になったんですよ」
つまり、長内さんは奨学金なくしては高校進学はありえない状況だった。
「当時の公立高校の授業料は月に8000円で、年間9万6000円。何も準備していなければ3年間で30万円近くで、うちはそんな額を払えるような経済状況ではありません。それなのに、公立の受験で落ちてしまったんです……。その後、なんとか年間の学費が25万円の私立高校には受かったので、奨学金を75万円借りて3年間通うことができました」
当時は第二種奨学金(有利子)のない時代のため、長内さんが借りていたのは現在の奨学金第一種(無利子)に当たる。
そして、高校3年間は野球部などのクラブ活動に明け暮れながら、大学進学も視野に入れる。目標は国立大学だ。
「当時、ノーベル賞受賞者を数多く排出していた京都大学に入れば、食いっぱぐれないと思ったんです。実際に模試の成績もB〜C判定だったので、なんとかなるかなと思ったのですが、試験当日は緊張のあまり本来の実力が出せず……。悔しくて1年間浪人したのですが、それでもやはりダメで大阪の私立大学に入学します」
ちなみに、長内さんは東京の私立大学も滑り止めで受験するために、アルバイト代を貯金していたが、受験前にそのお金はすべて父親に使い込まれていた。
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