「奨学金437万円」男性が40代でようやく得た天職 貧困家庭出身の彼が今、アフリカで働く理由

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そして、転職して間もなくして父親が亡くなってしまう。縫製の家業を廃業させて、貯蓄に回していくことにしたが、あるとき、市役所の職員が家に訪ねてくる。

「何事かよくわからなかったのですが、話を聞くと僕が生まれたときから、父は国民保険料を一切払っていなかったようで、それの督促だったんです。その額、240万円。中学生のときに見た確定申告書の『保険料』の欄が空白だった謎がようやく解けました(笑)」

そんな、親の負債も一段落ついた頃、長内さんは次のステップに進むことを決める。

「ほとんど父のせいなのですが、とにかく日本が嫌になったんです。『なんで僕はこんなに苦労せないかんのか?』と思うようになり、今いる場所ではない、まったく違う場所に行きたくなったんです。

そこで、30歳のときに青年海外協力隊員としてアフリカに行きました。そこで、現地の子どもたちと触れ合う中で、『これを仕事にしたい』と本格的に思うようになり、アフリカの勉強を始めるために、34歳で仕事をやめて大学院に進学します。

当時は教員免許を持ってなくても、現地に行けたのですが、この先もずっとアフリカで『仕事』をするためには、会社の立ち上げも視野に入れなければならなったのです」

3カ国語を覚え「ようやく飯が食えるように」

すでにこの頃には高校と大学で借りていた奨学金も完済しており、大学院進学のための貯蓄もあった。しかし、長内さんは再び170万円の奨学金第一種(無利子)を修士課程の2年間で借りることにした。

「何か困ったときの支えになるかなと思い借りましたが、結果的に成績優秀で授業料免除になったので、大学院修了後に一括返済したら、報奨金がもらえました」

この「報奨金制度」はかつて存在した制度である。今は早期返済や繰り上げ返済したところで、このようなキャッシュバックはない。

こうして、アフリカの子どもたちのために勉強を教えるべく、教員免許を取得した長内さんだが、そう簡単にお呼びにはかからない。

そもそも、彼は30歳のときに行った青年海外協力隊の仕事で英語を覚え、その後大学院時代に1年半ほどブラジルに行ったため、ポルトガル語も話せていた。しかし、「フランス語を話せたほうが絶対に仕事につながる」と確信して、40歳で再び青年海外協力隊に参加。フランス語を学ぶために、フランス語圏のアフリカの国に渡った。

「2年間フランス語を勉強して、そこで『英語とフランス語とポルトガル語の3カ国語が話せるので、アフリカのどの国でも仕事ができます!』と言えるようになったんです。すると、そこから『ボランティア』ではなく、『専門家』としてお呼びがかかるようになり、ようやく飯が食えるようになりました」

青年海外協力隊も一応、月8万〜13万円の積立金給料がもらえるが、長内さんはこのときから「独立系の国際協力コンサルタント」と名乗れるようになり、国際協力事業や海外事業に関するコンサルティング業務(調査・研究・計画・実施など)や、そのためのコンサルタントの育成および派遣業務が主な会社を立ち上げた。

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