娘が浅い眠りから覚め、もぞもぞと動き出したのは、1月2日午前8時ごろだった。東京の自宅にいる時は起きたらすぐに「パパ、こっちー」と台所まで記者の手を引き、朝ご飯を要求してくる食いしん坊。だが、この日はうつ伏せのまま自分の左手親指をしゃぶるだけで、決してベッドを降りようとしなかった。
「1階の朝食会場に食べ物がないか見てくる」。起床した妻はそう言って、ホテルの部屋着の上からジャンパーを羽織った。宿泊していた部屋は6階で、エレベーターは止まっている。屋外の非常階段を下りて行かねばならない。
妻が乾いて白くなった土砂がこびりついたブーツを履き、ドアノブに手をかけると、娘が「やーやー」とぐずり始めた。「大丈夫だよ。ママはすぐに戻ってくるよ」。記者が抱き上げ、そう語りかけても、娘は不安そうな表情のまま、妻が出て行ったドアを凝視していた。
記者と妻がそばにいないとひどく怯えた
娘はその後も、記者と妻の両方がそばにいないとひどく怯えた。水を流せるトイレがホテル1階にしかなく、交替で用を足しに行く間、残ったほうは泣き叫ぶ娘を必死であやさなければならなかった。
10分ほどして妻は戻ってきたが、手ぶらだった。「パンがあったらしいけど、もうなくなったんだって」。もっと早く行けばよかった、と悔やむ妻に娘は抱っこをせがみ、しばらく離れようとしなかった。
主食になる手持ちの食料は、前日の夜にコンビニで確保したカップめん類のみ。一方、蛇口をひねっても水は出ず、飲料水はホテルのチェックイン時にスタッフがくれた500ミリリットルのペットボトル2本しかない。ここは温存することにして、娘には祖父宅から持ってきたボーロやせんべいを与えた。
どれも大好物のはずなのに、娘は一口かじっただけで「いや」と顔をそむける。その食べ残しを妻が口にした。
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