【ルポ】1歳の娘は余震に怯え、声も上げなかった 能登半島地震、記者が体験した避難のリアル

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悩みながら、夜を迎えた。記者は飼い猫の様子を見に一度実家へ戻った。その際に台所で「サトウのご飯」2パックを見つけた。父の了承を得てバッグにしまい、ホテルへと帰った。

レンジで温めた米をテーブルに置くと、被災後に初めて娘がご飯を欲しがった。記者がフーフーと息を吹きかけて冷まし、少量を割り箸で娘の口へ運ぶと、ついに食べた。妻も久しぶりに笑顔を見せた。「よかったね、よかったね」と2人で言い合いながら、もう一口を食べさせた。

何度か咀嚼したのち、娘は突然、ゲホッとえずいて吐いてしまった。空腹すぎて、胃が食べ物を受け付けなかったのかもしれない。服やご飯は吐瀉物にまみれている。慌てて祖母にもらったウェットティッシュであたりを拭くが、娘はショックで泣き出してしまい、それから何も口にしなかった。

娘は両目を見開き、全身を強張らせた

記者と妻は残っていた水でお湯を沸かし、カップ麺を作って分け合った。水量が足りず、麺は固くてスープはしょっぱい。娘を真ん中にして川の字になり、もうベッドで休むことにした。少しでも離れるとパチッと目を開いて泣き叫ぶので、記者は娘を抱きしめたまま横になった。娘の髪からは汗や土、吐瀉物が混ざったような臭いが漂っていた。

1月2日に撮影した祖父母宅の近所(記者撮影)

なかなか眠れずにうとうとしていると、午前2時20分ごろ、またスマートフォンが不快な猛々しい音を鳴らせた。緊急地震速報だ。前震の2日後に本震が発生して大きな被害をもたらした、2016年の熊本地震が脳裏をかすめた。

震源地から少し離れていたのか、七尾市はそんなに揺れなかった。ただ、娘の心を折るには十分な威力だった。娘は両目をカッと見開き、息をするのも忘れて全身を強張らせていた。もう東京へ帰るしかない、と記者は吹っ切れた。

朝になり、ホテルをチェックアウトした。ロビーでは地元の病院の名前が入った防災服を着た男性が数人いた。医療従事者だろう。心の中で「すみません、すみません」と何度も頭を下げながら、車に乗り込み、実家の猫を回収して出発した。

雨がパラパラと降っていた。ニュースではしきりに土砂災害に注意するよう呼び掛けている。金沢駅までの道中は「走行中に地震や津波、土砂崩れに遭ったらどうしよう」と気が気ではなかった。

それらは幸いにも杞憂に終わった。途中、子連れで避難所にいるという女性からの楽曲リクエストがラジオで取り上げられ、アンパンマンのマーチが車内に響いた。娘よりもっと酷い状況の子供たちはまだ大勢、被災地に残されている。

東京に帰宅後の飼い猫。被災後に初めてエサと水を口にした(記者撮影)

約3時間かけて金沢駅へ到着し、すし詰め状態だった東京行きの新幹線へ飛び乗った。

自宅に着き、洗面所のレバーを押すと、冷水が勢いよく飛び出す。1回、2回、3回と両手ですくって何度も顔を洗った。妻子と3人で風呂に入り、清潔なシーツをかけたベッドで横になる。普段はリビングで1匹で眠ることを好む飼い猫も、記者の掛布団の中へ潜り込んできて体を丸めた。

娘が寝静まった後、妻がポロポロと泣き始めた。「ミオが無事でよかった。不安だった」。どうしたの、と記者が尋ねると妻はそう答えた。記者が思わず抱き寄せた娘からは、子供用シャンプーのほのかに甘い香りがした。罪悪感と安堵が入り混じりながら、記者の意識も睡魔に蝕まれていった。

石川 陽一 東洋経済 記者

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いしかわ よういち / Yoichi Ishikawa

1994年生まれ、石川県七尾市出身。2017年に早稲田大スポーツ科学部を卒業後、共同通信へ入社。事件や災害、原爆などを取材した後、2023年8月に東洋経済へ移籍。経済記者の道を歩み始める。著書に「いじめの聖域 キリスト教学校の闇に挑んだ両親の全記録」2022年文藝春秋刊=第54回大宅壮一ノンフィクション賞候補、第12回日本ジャーナリスト協会賞。

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