紫式部の才能を開かせた"女"という「生きづらさ」 「源氏物語」を描き続けた原動力になったもの

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日記に登場する弟もしかりだ。専門家なら名前や経歴を知っているかもしれない程度、結局のところ、「女に負けたやつ」としてのみかすかに記憶されていると言っても過言ではない。姉が希代の天才、父が一流の学者だったから、彼は本当に大変だっただろう、と同情を禁じ得ないが……。

平安時代の身分制度は非常に厳しく、失脚する危険が常に付きまとっていたのに対して、復活を果たすのは至難の業だった。さらに大学出身者は、公卿への出世の道はほぼ閉ざされ、文人として優れていても、それが社会的地位や収入に結びつくことは稀だった。

紫式部が男に生まれていたら…

紫式部がもし男に生まれていたら、おそらく歴史に飲まれて、父親や男兄弟と同じように忘れ去られていたに違いない。たとえ、漢文知識がピカイチでも。

しかし、中国の文化に造詣が深く、教養レベルが極めて高い中級貴族の娘だったからこそ、彼女の運命は同じ家系の男たちと大きく異なった。そう、不幸中の幸いというやつだ。

藤原道長に見初められて、宮仕えのチャンを与えてもらったのはもちろん大きいけれど、中宮を取り巻く「女だけの世界」が、紫式部の作家としての才能を開花させたのだ。

周りを見渡せば、人生経験も才能も豊かな女たちが行き交い、刺激に満ちた環境だった上に、そこは政治が行われる場所に限りなく近く、普段垣間見ることができない世界への扉も多少開かれていた。官僚の道が完全に無理だった分、女の世界のなかで、紫式部は別の自由さを手に入れた。

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