脚本家・山田太一が遺した日本の正月への思い エッセイ集「夕暮れの時間に」に託された願い
なんとか、無理して
大震災からそれほどたたないころ、テレビのCMを見ていて、それはもう何度も見たことがあるのに、まったく別の印象を受けて、一人で驚いていたことがあった。
老人の記憶なので正確ではないが「ラッシュのない東京」「蛍がとぶ渋谷」というような語りと文字が流れ「人が想像できることはきっと実現する」という積極的なメッセージのあるCMであった。
その言葉から不意に、ひどい不況で人がまばらにしかいない東京駅、人も灯りも消えてただ蛍がとんでいる渋谷という光景がなまなましく浮んで自分で驚いたのだった。無論CMをつくった人たちのせいではない。津波で一瞬にして広大な地域が瓦礫になってしまった映像が衝撃で、気がつくとそんな連想までもが強い影響を受けていたのだった。
いつどこでなにが起るか分らないという思いは、あの震災から多くの人が受けた啓示だろう。強い無常感が、直接被害を受けたわけではない私の内部にもずしりと居座っていた。「家族や近隣との絆が大事」「ただ生きていることのありがたさ」「自然の途方もない威力」「人間の無力」それらは反論のしようもない真実であった。
しかし、どうやら人間はそういう究極の認識だけでは長く生きていられないらしい。考えれば家族近隣との悩みごとが消えたわけでもなく、ただ生きていることをありがたくばかりも思っていられない。気がつくと究極の現実から見ればむなしいとしか思えない世界が甦っている。11年の11月11日に入籍しようと役所に順番待ちの男女が並んだという。こういうの、いいではないか。ギリギリの現実から見れば愚かかもしれないことをしなかったら、文化など生まれようもないだろう。
とはいえ、災害の現実は厳として存在する。来年の日本人の正月は哀しい。はしゃいでも、どこかうしろめたく哀しい。
(「文藝春秋」2012年1月号)
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら