脚本家・山田太一が遺した日本の正月への思い エッセイ集「夕暮れの時間に」に託された願い

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その動機が正当だとしても、プライドや利権のために戦争をはじめたら、その犠牲は計り知れない。いまはトンネルの天井板の落下も大事件だが、戦争となれば日々爆弾が落ちて来ても当然という世界になるのである。対抗するには相手の国に同じように爆弾を落とすしかない。原発の多い日本がそんなことになったら、仮にその戦いに勝ったとしても滅亡する他はない。

バカ気た心配なら幸いである。年末の選挙で一体この人たちの誰に日本を託したらいいのか、と途方にくれた人も少なくないと思う。勇ましいことをいわないで貰いたい。引くに引けなくなることのないように、ぐずぐずだらだらでもいいから、戦争を外交で避け切る人たちであって欲しい。
(多摩川新聞2013年1月1日)

いきいき生きたい

東北の大震災は、日本の大体験だった。

いや、だったなどとはとてもいえない、いまの若い人が生きている間でも片付かないものをかかえた出来事になってしまった。

思い出して鴨長明の『方丈記』を読んだという人が私の周りでも何人もいる。

私もその一人で、大火事、竜巻、飢饉、大地震、津波の、なまなましく簡潔な名文に支えられた無常観は、まるでいまの私たちに向けて語りかけているように感じられた。

たしかに人の一生なんて、天から見下ろせば小さくて束の間だし、いつなにがあってすべてを失うかもしれず、死ぬかもしれず、見栄をはって豊かさを競うのも権力に身を寄せるのも、はじかれて苦しむのも、むなしいといえばむなしい。人が生きて行くために必要なものは、結局「方丈」──つまり畳五枚ぐらいの住いで、おさまってしまうのではないか、といわれると、ああ無駄なものを抱えているなあ、捨てなきゃと思いながら、いろいろ処分できないでいる私などは、反省ばかりという気持になる。

たしかに死んでしまえば万事が終りなのだから、むなしいといえばすべてがむなしい。なにかに執着するのは愚かといわれればその通り愚かである。しかし、どこに住んでも文句をいわれない土地のある平安時代に、お坊さんで、家族もなく、人ともつき合わず、稼がなくても自給自足できる、老境の近い人のいうことは割り引いて聞いた方がいいと思う。お坊さんへの教訓としてはよく分るが、俗人には無理があると思う。死ぬことを考えたら、たしかにむなしいことばかりだが、すぐ死ぬわけではない人間は、そんな啓示で身をつつしんでいたら、生きているうちから死んだようになってしまう。

大災害は、ぎりぎり一番大切なものを教えてくれる。生きているだけでありがたいとか、絆が大事だとか、たしかにそれは真実だが、究極の真理だけで、私たちは日々をいきいき生きていけないのだと思う。哀しいといえば哀しいが、それが生きているということなのだと思う。

(多摩川新聞2012年1月1日)

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