「源氏物語」の時代に恋愛が重要視された深い理由 NHK大河ドラマ「光る君へ」で描かれる紫式部の人生

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『蜻蛉日記』で特に僕が気になったのが、右大将道綱母が藤原道長の父でもある藤原兼家への愛憎について綴っている描写です。日記では、兼家が自分の元にちっとも通ってこないことへの不満や、「今日もあの人は来てくれなかった。他の女のところに行っている違いない、ああ悔しい、悔しい」というような恨み節が赤裸々に描かれています。

性に奔放な平安時代なのだから、右大将道綱母にしても兼家を待たず、違う男を見つけて適当にストレス発散するという方法もあったはずです。事実、当時は他の人と付き合うのも、離婚するのも、いまよりずっと簡単でした。でも、それをせずに、ひたすら彼を待ち続けて嫉妬をし続ける。兼家がそんなに良い男だったとは思えませんが、そのあたりもやはり男女の間でないとわからないことなのでしょう。

この人間臭い表現にあふれた日記を読むと、どんなに身分が高くても、時代が変わっても、男女の間柄というのは変わらないのだなと思わざるを得ません。そのあたりは、平安時代の人々の心の動きを知るという意味でも、非常に勉強になるものです。

『源氏物語』では触れられない名もなき庶民の苦しい日常

このように「恋愛が重要視された時代だった」と説明すると、平安時代は誰にとっても平和なのんびりした時代だと思われてしまうかもしれませんが、実態はそんなことはありません。

平安時代の平和は、あくまで一部の貴族たちだけのもの。庶民まで平和の恩恵を受けていたとは、到底言えないものでした。

平安時代をイメージする上でわかりやすいのが、芥川龍之介が書いた『羅生門』という短編です。作中、主人公が羅生門に入っていくと、その中には死体がゴロゴロ転がっていて、痩せた老婆が死体から髪の毛を抜いてかつらを作ろうとしているシーンが描かれます。

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