「源氏物語」の時代に恋愛が重要視された深い理由 NHK大河ドラマ「光る君へ」で描かれる紫式部の人生

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仮に結婚しても、天皇が娘の元に通ってくれなければ子どもはできないので、気を引くためにどうしたらよいかを、貴族たちは必死に考えました。そこで、藤原氏をはじめとする貴族たちが行ったのが、教養のある女性たちを娘の周囲に集め、文化的なサロンを作ることでした。

自分の娘のサロンが、華やかで賑やかで知的に洗練されたものであれば、天皇もその評判を聞きつけて、娘のもとに通う傾向があったため、定子の兄である藤原伊周も、彰子の父である藤原道長も、天皇が思わず立ち寄りたくなるようなサロンを一生懸命整えました。

文化的なサロンを支えてくれるであろう文化的な匂いがする教養のある女性たちを探した末、伊周がスカウトしてきたのが『枕草子』の清少納言でした。一方、道長がスカウトしたのは歌の名手である和泉式部や『源氏物語』の紫式部でした。つまり、清少納言や紫式部たちは、天皇に通ってもらえるような良い空間を演出する役割を担っていたのです。

女性が大きな役割を果たす空間では、武力が優位であってはなりません。腕力や暴力といった武力が大きな価値を持つ場では、身体的な差がある以上、男性が大きな権力を持つ空間になりかねない。だから、武力が幅を利かせる世界では、女性は活き活きとは活躍しづらいものでしょう。

しかし、平安時代の後宮のように、藤原氏という強い貴族の権力に守られながら、安全と平和が保証された空間であったからこそ、才能ある知的な女性たちが自らの才能を開花させ、『源氏物語』をはじめとする数々の女性文学が生まれたのだと僕は思います。

『蜻蛉日記』に描かれた赤裸々な恨み節

平安時代に生まれたたくさんの女流文学で主題となるテーマは、主に恋愛です。それは、恋愛というものが、この時代に非常に高い価値を持っていたとも言えます。

たとえば、当時の日記文学『蜻蛉日記』の著者として有名なのが、藤原右大将道綱母という人物です。彼女は、道長の兄弟である右大将道綱の母親として知られています。

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