『親といるとなぜか苦しい』を読んでいて、親としていちばんドキッとしたのは、精神的に未熟な親の4タイプのうちの1つ、「がむしゃらな親」の部分を読んだときです。
他者を憶測で決めつけ、自分と同じようにしたいはず、同じことに重きを置いているはずと考える。こうした過度な自己中心性が、自分は他者の「ためになっている」という思いこみへとつながる。(中略)
子どもの興味や人生への夢を受け入れるより、自分がみたいものを選んで言葉たくみに押しつけ、子どもの人生にやたらと口出しする。加えて、じゅうぶんなことをしなければ、という不安が彼らを駆り立てる。子どもを含めた他者の感情よりも、自分の目標を達成することが何より大事なのだ。
自分の後悔が子の教育に紛れ込む
資本主義のなかで困ることなくちゃんと生きていけるよう、レールを敷いてはみ出さずに進めと子どもには言ってしまいがちです。「絶対にこれがいいこと!」と決めつける気持ちの半分には、自分がこうしたかった、こうしておけばよかったという後悔が紛れ込んでいる。レールに載せてしまうのは子どもを自分の所有物だと思っているからで、本当に子どものためを思うなら、自発的に選んでいける選択肢を増やしてあげることのほうが大切なんですよね。
ただつい、自発的に宿題をやらない子どもに対して「宿題させなきゃ!」とがむしゃらに向かってしまうのですが……。精神的に未熟な親のなかで、がむしゃらな親はもっともふつうに見えがちなタイプなのだけれど一歩間違えば教育虐待につながることもありそうです。
生まれたばかりのころは「健康であればいい」と思っているのに、さまざまな社会のニュースや情報に翻弄されるなかでがむしゃらになっていくのだと思います。「子どものため」と枕詞に付ければ何でも正当化できてしまうから。だから私はいつも、自分に問いかけるようにしています。「これは本当に、子どものためだと思って言っているのか、私が安心したいから子どもにやるように言っているのではないか?」と。
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