なぜシャンパンタワーにドンペリが選ばれるのか 日本に欠けているラグジュアリーの視点と可能性
ところがヨーロッパは、さすがラグジュアリーを扱う年季が違う。この『世界のラグジュアリーブランドはいま何をしているのか?』を読むと、四方八方から手を替え品を替え、さまざまな視点でラグジュアリーを論じていて、まことに勉強になる。
そして、むしろヨーロッパでラグジュアリーのビジネスに携わる専門家のほうが、日本の持つ熟練人材、洗練された素材技術、目の肥えた消費者の層の厚みといった環境の潜在能力を高く評価し、ポテンシャルに期待するところが大きいようである。
日本のクラフトが見落としていること
LVMHの本社スタッフと対話していたときに、「三宅さん、なんで日本のクラフトはレトロなデザインばかりをつくりたがるんですか?」と不思議そうに聞かれて、こちらはあっと驚いた。
言われてみれば日本のクラフト、手仕事の成果物は、デザインをつい古めかしく考えることが無意識の先入観になっている。
ところが、ヨーロッパのクラフトは、あくまで生産手法の問題であって、それが伝統的であるからといって、意匠まで伝統的にする必然性などなにかあるはずもない。ないのだが、その先入観に拘束されていること自体、日本からだけラグジュアリーを見ていると見落としがちである。
しかし日欧、特に日仏間でラグジュアリーという現象を比較してみると、実にいろいろな気づきがある。たとえば、近代化以後150年も西洋由来の生活文化を咀嚼してきて、いよいよ日本の作り手たちは、それを自家薬籠中の物として洗練させえたように思われる。
それなら世界に打って出てよい時期だが、そのときはまず、自分たちのラグジュアリー観が、かつては対西洋コンプレックスを引きずっていた歴史を見直して、それを相対化することも有効だろう。
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