神秘!公開は年2回のみ「古代ローマの地下回廊」 それはポルトガル・リスボンの旧市街の足元に

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遺跡が発見されたのは、今から約250年前のこと。

当時のリスボンでは1755年に起きたリスボン大地震の復興作業が続いていた。それまで華麗な交易都市として名を馳せていたリスボンの街は、地震と津波、火災により廃墟と化し、再建には20年を要したそうだ。下町のプラタ通りで再建工事に着手したところ、遺跡が姿を現した。

大地震前のリスボンを再現した模型の写真上で示された遺跡の位置。遺跡近くの王宮は地震で崩壊し、跡地はコメルシオ広場となった(写真:筆者撮影)

古代ローマ時代の回廊が残る理由

「この遺跡が完成したのは、紀元1世紀ごろね。アウグストゥス帝率いる古代ローマ帝国の支配下だった頃よ」とジョアナさん。 

その根拠は、壁の形状と、建築材料にローマンコンクリート(古代コンクリート)が使われていることだ。ローマンコンクリートはこの時代にだけ利用された火山灰を混ぜ合わせた水硬性セメントで、現代のコンクリートは寿命が100年ほどなのに、2000年以上経った今でも構造を保つほど耐久性に優れている。

公衆浴場だと考えられていた頃の遺跡の再構成図(写真:筆者撮影)

いつ、誰がこの地下回廊を作ったのかは比較的早い段階で判明したが、その使い道については長く議論されてきた。

考古学者や歴史家たちの間でも「貯水施設では?」「いや、水道管として建造されたものではないか」と、さまざまな意見が交わされたが、最も有力だったのは公衆浴場である。遺跡内から公衆浴場に祀られることの多いギリシャの医神、アスクレーピオスに捧げた碑文が見つかったからだ。

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