とはいえ、進学校のトップ層であった彼は、当時の模試の成績では、第1志望の東大理科I類ではE判定でしたが、京都大学理学部ではほぼD~C判定を取れていたそうです。
しかし結局、センター試験は国語で95/200点しか取れずに8割に終わり、周囲から「東大は無理、京大も高望み」と言われたことに反発して東大理Iに出願し、40点差で落ちてしまいました。
現役での受験を終えた彼は、浪人を決断します。その理由は、「妥協したくなかったから」だと言います。
「世の中では、1年に東大に3000人受かっている。そんなにできている人が同世代にいるので、挫折したくなかったんです」
東大を諦めきれず仮面浪人
そう思って駿台に通い出した彼は、1日10時間の勉強の末に駿台模試の判定でC判定を取れるようになっていきます。
「この年は数学・理科の難しい問題が解けるようになった」と確かな成長を振り返る彼。しかし、センター試験ではまたしても国語で110/200点とつまずいて、81%という物足りない結果に終わり、2次試験も前期で東大に出願して25点足りずに落ちてしまいました。
結局彼は滑り止めで合格した準難関大学に入学しますが、それでもやはり東大を諦められず、大学に入って仮面浪人をするという選択をしました。
「大学の授業がある日は受験勉強を3時間、授業がない日は5時間勉強していました。国会図書館に行って市販の参考書や、過去問の20年分をぜんぶ印刷して解きました」
2浪目から仮面浪人をはじめた彼は、大学4年生になる5浪目までに3回東大受験をしました。5浪目くらいには模試の判定が東大理科I類で「B」までは出るようになったそうですが、A判定は1回も出なかったそうです。
学生生活と並行して受験を続けた彼ですが、結局、5浪目までの東大受験も努力実らず、すべて不合格に終わってしまいました。
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