十一日の記事にも恐怖感を覚える旅人たちの姿が綴られている。
十一日、まだ夜が明けないうちに船を出して、室津へと向かう。みんな寝ているし、暗くて海の様子が判別できない。ただ月を見て、西東がやっとわかったところだ。
長く続く船旅の唯一の救いは、微かな月の明かりだが、旅人がさまよう幻想的な世界において、それもよく雲に覆われて、海と区別がつかない空がどんよりとしているばかりだ。目を凝らしても海の状況すら判別できず、どれほど心細かったか想像がつく。
オヤジギャクや言葉遊びが連発される『土佐日記』
このように『土佐日記』のなかで、おじさんは女房の真似をして、子供たちは大人のように振る舞い、身分の低い人たちは権力を握るし、前国司をはじめとする一行は時間の経過も季節の移り変わりも感じられない非日常的な空間に放り出されている。そこでやはり、気になって仕方がない。紀貫之はなぜそこまでして常識に反した世界観を作り出そうとしていたのか、と。
オヤジギャクや言葉遊びが連発されている『土佐日記』だが、天候のことや旅の行程、京都への憧れなどが綴られているうちに、最も印象的なのは、土佐で急死した前国司、つまり作者である紀貫之本人の娘に対する哀切な追懐なのかもしれない。そのテーマは最初のほうに持ち出されており、作品全体を貫く主題の1つとなっている。
二十七日の記事には、悲嘆にくれる前国司の姿が早くも現れる。
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