イギリス人が「横浜のドヤ街」で見た"日本の断面" 寿町、インテリ日雇い労働者もいた30年前から現在まで

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人材派遣会社の台頭や、デジタル化に伴いスマホ上で雇用者・労働者のマッチングが可能になったことなどで、かつてのようにセンターに並んだり、手配師と呼ばれる斡旋業者を介して仕事にありついたりすることがなくなった。スマホや携帯電話を持たない、あるいは金銭的に持てない寿町の労働者は、蚊帳の外に置かれてしまったのだ。

仕事の激減、住人の高齢化

センターのような役割を担う「ハローワーク横浜港労働出張所」では2019年、日雇いの求人は484件と、1日1件強にとどまった。神奈川県と横浜市の外郭団体である「寿労働センター無料職業紹介所」は、同年の紹介件数がわずか5件だったという(『毎日あほうだんす』より)。

「今も日雇い労働の仕事は、寿町ではほとんど見当たりません。有期(2~30日)の仕事は少しあるけど、何日も働くのは大変だから、やりたがる人がいないので余っている。昔からすると、これはとても珍しい状況です」

(撮影:梅谷秀司)

かつては朝6時にセンターのシャッターが開き、その日の仕事が提示されると、待ち構えていた100人以上の労働者が押し寄せ、数分ですべてなくなったという。仕事が余ることなど考えられなかったのだ。

2つめの大きな変化は、「寿町で暮らす人々が高齢化していること」。確かに寿町を歩くと、杖を突いた人、車いすや歩行器を使っている人が目立った。それは一部だけでなく、町全体に広がっているという。

「1960~1970年代は、がっちりした若者や中年の労働者が多く、難しい仕事ができる大工や鳶もいました。そういう人たちは1日に3~5万円を稼ぐこともあり、日雇い労働者として働くのは悪くない話だったんですね。けれど、私が初めて寿町に来た1993年には、そういった人たちはもう少なかった。今はほぼいません」

(撮影:梅谷秀司)

日雇い仕事がなく、高齢化も進む。その結果、現在はドヤで暮らす人の8~9割が、生活保護の受給者となっているという。ドヤとデイケアセンターが併設し、住人の生活介助を行う施設も増えている。「みんなが言う決まり文句だけど、寿町は労働者の街から福祉の街になりました」とトムさん。

「昔のドヤには、技術があって独立心が強い、労働者の誇りを持っている男たちがたくさんいたんですね。いろいろなスローガンもあって、『黙ってのたれ死ぬな』『やられたらやり返せ』、年末の越冬のときは『死者は1人も出さない』『みんなは1人のため、1人はみんなのため』など。ある学者は『もし日本で革命が起こるなら、ドヤ街から始まる』と言っていました。現在の寿町で暮らす人々は、年を取り過ぎていて、残念ながら革命を起こすエネルギーはないように思います」

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