日雇い労働者たちが仕事を求めて集まった、通称センター(寿町総合労働福祉会館・2016年に閉館)」の前でのこと。紀光さんから国籍を聞かれたトムさんが、イギリスだと答えると、彼は「エドワード・ヒース」「ハロルド・ウィルソン」「ジェームズ・キャラハン」など、同国の歴代の首相の名前を挙げていった。英語も堪能であった。
後日、トムさんがオックスフォード大学の教授を寿町に連れていき、紀光さんと3人で居酒屋に入ると、ここでも彼は博識ぶりを発揮した。教授に鋭い質問をぶつけるその様子は、紀光さんとの思い出をつづったトムさんの著書『毎日あほうだんす』でこう書かれている。
西川紀光さんの博識ぶり
トムさんは、紀光さんがイギリスの政治に詳しかったとしつつ、「もし私がフランス人だったら、彼はフランスの政治の話をしていたと思う」と、その知識はさらに広かったと振り返る。政治のほか歴史、哲学、量子力学など幅広い分野にも精通しており、文化人類学もトムさんより詳しかったという。
熊本で生まれた紀光さんは、高校卒業後、家庭の経済事情で大学に進めず、陸上自衛隊に入隊。その後、工場や建設会社での勤務を経て、日雇い労働者になった。
酒と学問を愛し、定宿にしていた2畳半のドヤには、学術書が山積みになっていたとトムさんは回想する。彼の1日の賃金は1万2000円で、出費はドヤ代、酒代、食費など5000円。7000円が残る計算だが、次の朝には1000円札が1~2枚しかないことも多く、「この不思議は今まで解けていない」とよくこぼしていたそうだ。
とくに印象的なやり取りは、2人で「なぜ私は存在するのか?」と、実存主義について語っていたときのこと。
紀光「罰、だね」
トム「何への罰? 紀光は何をしたの?」
紀光「オレの人生のすべては罰なんだ」
トム「何への?」
紀光「オレの人生への罰だよ!」
(『毎日あほうだんす(著トム・ギル)』より)
そう言って紀光さんは大笑いをしたのだった。「インテリっぽい暗い話をした後に、人生が罰則なんて面白おかしいから笑おうと。それが非常に印象的でした」とトムさんは目を細めた。
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