イギリス人が「横浜のドヤ街」で見た"日本の断面" 寿町、インテリ日雇い労働者もいた30年前から現在まで

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(撮影:梅谷秀司)

実はこの1時間ほど前にも、筆者は寿町の洗礼を受けていた。トムさんと合流する前、カメラマンと街並みの撮影をしていたところ、労働者風の男性から「何撮ってんだよ!」と怒鳴られたのだ。この街で堂々とカメラを構えるのが、適切でないことは重々理解していた。

そのため、できるだけ目立たぬよう気をつけていたのだが、よそ者への過敏さと拒否反応の強さを思い知った。また明らかに労働者ではない男性から、監視するかのような鋭い目線を向けられ、われわれは足早に去ったのだった。

当時の経済大国、日本のドヤ街に関心を持った

昼間から営業している居酒屋に場所を移し、老人たちが酒を飲み、強面の男性が大声で会話をするそばで、トムさんにインタビューをした。

トムさんは母国で大学院を卒業後、1983年に日本に渡り、通信社で働くように。ドヤ街に関心を持ったのは翌年、東京のドヤ街・山谷で暴動が起きたというニュースを見たのがきっかけだった。

当時、社会学者のエズラ・F・ヴォーゲル氏が『ジャパン・アズ・ナンバーワン』を出版するなど、経済大国としての日本の評価は揺らがないものだった。また、日本は億万長者が少ない反面、貧困層もあまりいない、一億総中流社会だと認識していたトムさん。

そんななかでニュースを見て、「日本でもこんなことが起こるんだ」と驚き、現地へ飛んだ。そして早朝4時過ぎに、数百人の日雇い労働者や過激派が、同じく数百人の機動隊と衝突している光景を目の当たりに。「東京が寝静まっているなか、山谷では熱い戦いが繰り広げられていたのが非常に驚きでした」と回想する。

「最近は変化していますが、日本の男性のステレオタイプはサラリーマンですよね。定年まで仕事があって安定性は100。一方、転勤や単身赴任など、会社から言われる通りにしなければならず、自由度が0。日雇い労働者は、安定性は0だけど自由度は100。この劇的なコントラストが面白いと思って、研究を始めたんです」

以来、このテーマでは約40年、寿町では30年近くにわたってフィールドワークを続けている。そのなかで知り合った、最も印象的な労働者が故・西川紀光(きみつ)さんだ。

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