「笑われる奴」「バカにされる奴」こそ最大の脅威だ イノベーターを育てる「漫才学」のすゝめ

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第1回決勝戦の模様が本書に詳しく描写されている。今や大御所となった芸人たちも、すでに大御所として審査員席にいる人たちも、みなそこまでひりつく緊張感に押しつぶされていたのか。テレビやDVDでは伝わりきらない、トゲを差し込まれる現場の空気を感じる。

そして、吉本主催のイベントに松竹芸能から出場して健闘したアメリカザリガニを紳助さんが「よくがんばりました」と評価するシーンは、M-1のガチ文化を形作ったポイントだと思う。それを特筆する谷さんの姿勢には、漫才そのものを大切にする意思を感じる。

ハイレベルで緊迫した第1回には、M-1を19回にわたり成長させることになる養分が濃縮されている。

第1回の芸人はその後20年を一線で支えた

芸人も色とりどりだ。中川家には当時、事情があって、漫才しか残っていなかった。そこからの初代王者獲得には鬼気迫る物語がある。

フットボールアワー、ブラックマヨネーズ、チュートリアル、笑い飯、千鳥、麒麟、ダイアン、華丸大吉……。みな物語を持ちながら、当初からここを主戦場と見定めて、挑戦したプレイヤーがその後20年を一線で支えてきた。ジャンルを作り、栄えさせるのは、そうした能力と、戦う意思のある人々である。

そう、本書は一級の漫才論でもある。表現に対して、歴史を踏まえた球をスパンと投げ込む。谷さんは最後に改革者としてエンタツ・アチャコ、ダイマル・ラケット、いとし・こいし、やすし・きよし、カウス・ボタン、紳助・竜介、ダウンタウン、笑い飯の名を挙げる。同意する。

一般教養として学ぶべきだとぼくは思う。むろん同意しない人もいよう。かまわない。漫才は、それぞれの好みや思いを戦わせる存在となった。M-1は漫才を論や学にした。

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