宝塚「法的正当性に終始」で遺族を否定した悪手 組織へ忖度、聞き取り調査の有効性に疑義
スポーツ団体などでも上級生の立場は絶対的であり、反組織的な言動がしにくいのが普通です。そうした特殊な環境において、本当に客観的な意見聴取ができたかについては十分検証されなければなりません。会見の根拠となる報告自体への疑義が払拭されていないと指摘されても仕方ないでしょう。
企業でのハラスメント問題においても聞き取り調査はきわめて重要ですが、その事実判定は非常に難しいものです。発言の背景などもしっかりと見定めたうえで判断するためには、委員会などを設置してハラスメント対応の対策をする必要があります。
アメリカでは証人の安全を守るための証人保護プログラムがあります。それくらい組織にネガティブな発言をすることはなかなかできるものではありません。聞き取りの精度を上げるためには、安心して自由に発言できる環境設定が欠かせません。それはどこまで実現できていたのか、会見、質疑いずれでも明確にはならなかったと思います。
「生徒」と呼ばれる過重労働者
会見で気になった単語があります。亡くなった方を含め、所属する劇団員の方々を指す呼称として「生徒」という言葉が使われていました。劇団は学校なのか、職場なのか、おそらくその境界がきわめてあいまいでグレーな取り扱いだったことが、もう一つの論点「過重労働」の原因だと感じました。
芸能や芸術、スポーツ、武道などにおいて、練習(インプット)と技能習得(アウトプット)が直結するとは限りません。素晴らしい演技の実現に、何時から何時までという勤務時間のような時間拘束を超えての練習や修養は、強制されずとも劇団員自ら行うことは十分予見できます。
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