変わる世界秩序に食らいついた石橋湛山のもがき 広く、深い時代認識が「小日本主義」を生んだ
――寺島さんが三井物産ワシントン事務所長だった1994年に上梓した『新経済主義宣言』は石橋湛山賞を受賞しました。
石橋湛山とは不思議な縁を感じている。
三井物産の「中興の祖」と言われた水上達三という人物がいた。三井物産の社長、会長を歴任し、私が三井物産に入社した1973年には相談役になっていたのだが、どういうわけか水上さんは新入社員の私に「これを調べてきてくれ」「あのデータを取ってきてくれ」とよく指示を出してきた。入社して数年間、私は水上さんのデータマンとして奔走した。
水上さんは、たとえば日本の貿易構造を見つめながら気になる統計を見つけたら、どうしてそうなっているのかを解明しようと「物資のこの部門に関して数字を追ってメモをしてきてくれ」という指示を私に出した。水上さんの指示で動きながら、こういうふうに構造を理解するのかと私は大いに勉強になった。中華料理屋のラウンドテーブルで日本経済を語る水上さんの話を、横でじっと聞くような機会も何度かあった。
私は経済産業人としてのものの見方、考え方をこの水上さんから学んだわけだが、実は水上さんは石橋と同じ山梨県立甲府第一高校の出身者で、石橋が主宰する勉強会にも参加していた。水上さんにとって石橋湛山はメンターのような存在だったのだ。
経済産業人のリアリズム
――石橋湛山・水上達三・寺島実郎というラインが浮かび上がります。
石橋は東洋経済新報社を率いていた人間。つまりアイデンティティは経済産業人だった。経済産業人として、冷戦構造に乗っかるのではなく、多角的な国際関係の中を生きるのが通商国家日本の国益であり生き方なのだと構想し続けた。
水上さんもまた、対立構造のどちらか一方の陣営にコミットして突き進むのは愚かなことだという考え方を持つ人だった。理想主義者のように思われるけれども、きわめて現実主義者で、だからこそ日本の立つべき位置が見えてきた。
私が石橋―水上ラインに共鳴するのは、彼らが経済産業人のリアリズムを血肉のように持っていたからだ。
現代に目を移せば、ある人たちは「権威主義陣営vs.民主主義陣営」の時代だと言ったり、「中国・ロシア・北朝鮮vs.アザーズ(それ以外)」の二極化時代と言ったりしている。
しかし、そうした見方では時代を見誤る。G20は空洞化し、BRICSは中国が中心になって束ねていけるような状況ではない。冷戦の時代認識を引っ張って、日本がNATOに加盟すると言ってみたり、中国を念頭に「戦う覚悟」と言ってみたり、そのような道を歩んではならないことだけははっきりしている。極構造では捉えられない、無極化を通り越して全員参加型秩序の時代に、日本はどう生きていくのか。
第1世界大戦の後、変わっていく世界秩序に石橋は必死に食らいついた。「一切を棄つるの覚悟」や「大日本主義の幻想」は、そうした石橋のもがきの中から生まれた論考だ。21世紀の残りの77年、問われているテーマは石橋が格闘した時代と非常によく似てきた。勇ましいことを言うのではなく、日本の選択肢をいかにやわらかく構想できるか。我々に問われているのはそこだ。
東洋経済がどのような言論を展開していくのかも、日本の進路を左右するカギになるはずだ。
(聞き手:野中 大樹)
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