喜屋武さんは石垣島で、沖縄本島北部の今帰仁村出身の父親と、島根県の港町出身の母親の間に生まれました。
「父親も母親も定職にはつかず、放浪をしていた人でした。父親は高校卒業後、全国各地をバイクで回って、土木作業員をしたり、ラーメンの屋台を引いたり、西表島の山の中でイノシシを獲ったりしていたのですが、最終的に石垣島のキャンプ場に流れつきました。母親は東京の女子短大を出てから渋谷の本屋で働いていたのですが、そこでインド旅行に関する本を読んで旅をするようになり、石垣島で父と出会ったことで奇跡的に僕が生まれたんです」
そんな両親に育ててもらった喜屋武さんは、既存の価値観に縛られることのない、自由な発想をする大人に成長します。
同級生が3人しかいない小・中学校
彼が通った小・中学校は、同級生が3人しかいない小さな公立の学校でした。
「石垣島は人口が5万くらいしかないのですが、島の中でも田舎のほうで、中学時代は全校生徒が9名ほどしかいない学校に通っていました。複式学級といって、小学校では、1〜2年、3〜4年と2学年が同じクラスで学校生活を共にしていました。小学校と中学校が一緒の敷地だったため、9年間同じメンバーと過ごしたのでみんな家族のような感じでしたね」
こうした牧歌的で特殊な環境で過ごしたおかげで、喜屋武さんは、快活かつおおらかな性格になれたと言います。そんな彼にとって大きな転機となったのが、高校への進学でした。
「高校進学を機に、市街地の八重山高等学校の普通科クラスに進学しました。高校では1クラス40名の学級が7つあったのですが、入学時の試験成績の上位40名は希望すれば特進クラスに入れました。僕も40番以内に入っていたようで(そのクラスに)声がかかったのですが、せっかく田舎から出てきたし、高校生活を楽しみたいという思いがあったので、普通科クラスに入ったんです。
大人数の中でテストを受けるようになって、初めて比較や競争、周囲からの評価といったものに触れる機会になりました。大学に進学したいという気持ちは、高校入学後から持っていましたが、自分が勉強ができるかどうかを今まで意識したことはなかったです」
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