2浪を経て、浪人して良かったことを聞くと、「やりきった感が持てた」、頑張れた理由に関しては、「完全燃焼できる納得のいく環境で取り組めたこと」とそれぞれ答えてくれました。
「1浪目の自宅浪人は自分で決めたことでしたが、思うように勉強に取り組めず、悔いが残る結果になりました。なので、2浪目は東京の予備校に通わせてもらって、納得いくまでやりきれたおかげで悔いがなくなりました。金銭面では親に負担をかけましたが、僕の意思を尊重してくれてありがたかったですし、結果的に早稲田に合格したことで喜んでもらえたのでよかったです」
また、2浪目で早稲田に行くために東京の予備校に通う決断をしたことは、彼の精神面・行動面を大きく変えたとも語ります。
「自分は強いこだわりや願望がないほうだと思っていました。でも、初めて1浪が終わってから、自分なりに覚悟や強い思いが持てて、それを親にも伝えることができたんです。自分でさえもこんなに強く早稲田に行きたいという思いがあったことに気づかなかったので、今まで見えなかった、知らなかった自分の一面に気づくきっかけになりました」
大学に入ってからの喜屋武さんは、「毎日が修学旅行」と語るような楽しい大学生活を謳歌します。
大学生活後半には仲間と始めたシェアハウス生活を楽しむあまり、全員で留年。25歳で早稲田を卒業してからは「ひまんちゅ(暇人)」と後に振り返る3年のフリーター生活を経験。
19歳のときの選択は間違っていなかった
28歳で初めてリクルートの代理店に就職し、2年間の社会人生活を経て、30歳で毎月1回お店に立ち、日替わりで店長が替わるソーシャルバーPORTOを友人と共同創業しました。
「今の自分の東京での人間関係、人との関わりのベースは浪人時代にできたものです。東京に来てから15年近く付き合えている、これからも一生付き合っていけそうな友達がたくさんできたので、19歳のときの選択、意思決定は間違えていなかったなと思います。
両親のように旅をするように生きる自分の人生の中で、楽じゃないけど、宙ぶらりんで人生のことを考えられた浪人という時間を経験していてよかったと思います。これからもままならない浪人人生を、自分なりに楽しく生きれたらいいなと思います」
石垣島で生まれ育ったおおらかな少年は、大学受験浪人で身につけたたくましさで、これからも浪人のような人生をたくましく送っていくだろうと思いました。
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