「有給休暇が6週間」家族と一緒の時間が増えた オーストラリアに残る選択をした彼女のその後

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大学に入るためには試験をクリアする必要があるが、ビザの残りの期間が少なくなってきていた。そのため、ビジネス系の専門学校に入り、学生として滞在期間を延ばした。

「一度、日本に戻ってから、お金を貯めて大学のために来る、という人も多いんですが、私の場合は仕事の基盤もあったし、友達もいたし、英語を伸ばせる機会だから、これはストップしないほうがいい、と思ったんです」

興味のある複数の病院の仕事を掛け持ち

ビジネス系の専門学校だった。できるだけ学費の安いところを選んだ。学費は数十万円。そして通学しながら、アシスタントナースとして働き、大学の学費に備えた。

「制度がいろいろ変わるんですが、当時は日本の4年生の大学を出て看護師になっていれば、短期間で正看護師になれるコースがありました。しかし私は専門学校だったので、1年か2年のコースを選ばなければなりませんでした。2年のほうが永住権に有利だと留学エージェントに教わって、2年コースに行くことにしました」

入学に当たっての最大の壁は英語力だった。実際、英語の試験で躓く人が多かったのだというが、勉強の甲斐あって試験を無事にクリア、大学に編入することができた。

2年コースだったが、学費は日本円で700万円近くになった。ずっとお金は貯めてはいたが、ここまでは貯めることはできなかった。親からのサポートを受け、少しずつ返している。

「大学の2年間は、とても楽しかったです。看護師を日本でやっていましたから、内容自体に難しさを感じることはありませんでした。だから、在学中はアルバイトにも重点を置いていたんです。ちょうど2年目に新型コロナが始まって、PCR検査のクリニックがスタッフを募集していて雇ってもらうことができました。そこがとにかく忙しくて、仕事には困りませんでした」

卒業後の就職は難しいと聞いていたが、なんと実習先の公立病院から誘われた。そこで仕事が始まった。

「職場の雰囲気もいいし、チームも良くてすごく楽しかった。でも、もともと緩和ケアをオーストラリアで学びたい気持ちがあったので、ホスピスの応募を見たときにやってみようと」

折しもアデレードで緩和ケアの有名なホスピスが看護師を募集していたのだ。応募すると採用してもらうことができた。

「公立病院は重度認知症の専門病棟なんですが、とても興味があったし、奥が深い。緩和ケアともつながるので、ここの仕事も続けたかった。それで、ここではカジュアルというポジションで仕事を残してもらって、メインのホスピスで週3回働きながら、働きたいときに公立病院にも通っています」

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